3位トーナメント優勝\(^o^)/
小さな優勝ですが、メンバー全員で勝ち取ったね。みんなおめでとう。
FC名古屋イーグルスは2006年設立。 チームのエンブレムは、Iwamoto coachが歌川広重の浮世絵『深川洲崎十万坪』にインスパイアされて、デザインしたもの。 FC Nagoya Eagles のエンブレム の両脇には名古屋市の花 百合を配置した。
2013年3月24日日曜日
2013年3月23日土曜日
2013年3月4日月曜日
体罰問題を考える
手元に、高校サッカーの名門校の監督の著作がいくつかある。体罰はおろか、虐待か!?というようなシーンまで赤裸々に描写され、著者や出版元は今なにを思うのだろう。
デリケートな問題でコメントは難しいが、個人的な感想をつづる。
おおまかに分けて、体罰には2種類ある。
ひとつは、(眠らせているままの自身の能力に気づいてほしい。そして開花・覚醒してほしい) という、選手のためを思っての指導が(行き過ぎ)になる場合。
もうひとつは、選手たちを 自分の駒 ととらえ、無理やりにしごき、「戦力」にしようとするあまり(逸脱する)ときだ。
名監督も初めはみんな「駆け出し」だった。純粋に (この子らを伸ばしてやりたい) と願っただろう。育成の先に好成績があった。幾度か続くと、有力な選手が集まるようになる。目標だったものが、いつからか「ノルマ」に変わる。学校(クラブ)や親の期待が重圧となってのしかかる。それらのプレッシャーと戦ううち、選手たちをみる「メガネ」がくもってくる。キャパの小さな者にまで、過酷な要求を突き付け、その結果選手がパンクする。わずかな数がドロップアウトしても、好成績が続けば、かれらには 「落伍者」 の烙印がおされるだけで、まわりからの称賛と ちやほや は続く。
有望な新入団希望者は列をなし、優秀な卒業生がほしい組織が参拝に訪れる。まるで、自分が神になったかのような錯覚に陥る。
そうなると、もう教育現場ではなくなり、プロフェッショナルな集団と化す。
自分の過去を振り返る。「県」や「市」の大会で勝ち進む。赤鯱のシャツを着た相手や、「決勝戦」という舞台で勝ちきると選手が変わる。練習や試合にのぞむ態度に自信と風格が漂い、(これが勝者のメンタリティか) とわがことながら驚いた。
次世代の選手たちにも同じことを味あわせてやりたい、と思い前回の成功体験を踏襲するがうまくいかない。スキル・能力・メンタル等が違うから当然だ。学校で一番 の中から選べたときと、クラスでそこそこ が集ったときではベースの戦力が違うのに、同じ栄冠を(選手に)求めたり、(組織や親から)求められたりすると ひずみが生じる。
イーグルスにきたら、クラスで最低 がごろごろいたが(笑) 10回負けても1回勝てば笑顔でついてきてくれる家族に感謝した。
全国大会の決勝で勝ちきることは素晴らしい。けれども、力量に劣る集団が力をあわせ地区予選の一回戦の壁を突破する。その1勝も、実は負けない価値があるんだ。
勝つために苦しみぬき、勝てる喜びを知り、その先に悔し涙を味わう。「勝利」や「優勝」は素晴らしいけれど、「敗北」や「挫折」が教えてくれるものもたくさんある。それらはみんな 教師 なんだ。サッカーで打ちひしがれたって、人生に活かせればおつりがくるよ。今やってる競技が人生のすべてと思ってしまったら、挫折の先には 絶望 しかないけど。
競技の能力に少々劣ったって、人間としての価値には微塵の違いもない。そのことに気づけば、暴力なんて簡単に根絶できるんだけどな。
2013年3月3日日曜日
アシックスカップ
昨日今日と木曽三川公園で小さな大会。決勝で涙を飲むも、準優勝!
みんなよくがんばりました。
チームで戦う喜び、それが報われたときのうれしさ。それにサポーターの皆さんの喜びがいっしょになり倍増する。
これからも、こんな機会が増えますように。
みんなよくがんばりました。
チームで戦う喜び、それが報われたときのうれしさ。それにサポーターの皆さんの喜びがいっしょになり倍増する。
これからも、こんな機会が増えますように。
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