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2017年10月31日火曜日

世界百名スタジアム8

吹田スタジアムに行ってきた。

10月29日(日)
学校大会で降ってわいた休日をいただいた。
3年前の6年生担当時は、チームメンバー各校の戦いを見たくて、一日に数校をハシゴして観戦した。
今年の連中の低レベルの球蹴りに興味はないので、念願だった 吹田スタジアム のJ1第31節 ガンバ—仙台 のチケットを手に入れた。
慣れないネット操作で、映画館の座席指定のように、運よく最前列の席を手に入れた。奇しくも四十代最後の旅。サッカーと酒場をサッカー馬鹿が巡る。

往きはチケットショップで買った 近鉄アーバンライナー。帰りは ぷらっとこだま で戻る貧乏旅行だが、ホテルだけは奮発し デザイナーズルーム をとった(ひとりで寝るだけやのに笑)

吹田スタジアム。 最寄りの万博記念公園駅から徒歩15分。少し遠い。外観はそれほど斬新でもカッコよくもないが、W杯を開催した同じ大阪の 長居陸上競技場 よりは、はるかにいい。トラックはないサッカー専用スタジアムで本当に見やすい。台風の影響で最前列にはときおり風雨が吹きつけるが、欧米人のように気にしない。遠藤、井手口、藤春、今野、倉田。代表でもお馴染みの顔がすぐ目の前に迫る。一方の仙台にも、野津田、大岩 と知ってる顔がいて楽しい。とくに大岩一貴(名古屋FC出身)はキャプテンマークを巻いて最終ラインを頼もしく取り仕切ってる。小学校のときに直接の教え子ではないが、家が近所だった縁で何度か送迎させてもらった。ヤツが覚え てるかは定 かではないが。
後ろに戻してばかりの遠藤に辟易し、井手口の異常な寄せの速さとボール奪取能力に驚嘆する。藤春のしかけ、今野の危機察知能力はTVでみるよりはるかに素晴らしい。長澤や赤崎との1対1では大岩に肩入れし、まわりのブーイングをくらう(笑) ゴールもきわどいシーンも多いとはいえなかったが、パロマ瑞穂の監督席より絶対近い位置からの観戦は最高だった。

夜は恒例の 居酒屋探訪ひとり呑み in 大阪キタ。 最低3軒はハシゴする気で来たのに、早朝からの移動、風雨の中の観戦、そして年齢等がたたり?1軒でダウン(涙) おとなしく帰還し、広いベッドで爆睡。四十代最後の週末も、愛するフットボールにつつまれながら過ごしましたとさ。 めでたしめでたし。 五十代もよろしくご指導ご鞭撻のほど。

チームは生きものである

9月下書き  その後加筆

まずはロシア行きのチケットを手に入れられて本当によかった。
本田と心中ならロシアはない、と一年前のコラムに書いたが、ほぼそのようになったかな) と思う。おそらくは彼には本大会もないんじゃないかと思う。バックアップメンバーに入れるにしても、30歳過ぎのロートルよりハタチ前後の若者に経験させるほうがずっと未来のためになる。高校生の久保君でもいい。

さて、その最終予選の豪とサウジ戦ほか、そして夏休み期間に戦ったわがチームのいくつかのカップ戦を振り返り、素直に思うことを綴る。

日本の豪戦の戦い方は素晴らしかった。攻撃が活性化し、決定機をいくつもつくった というわけではないが、(まずは相手になにもやらせない) という一発勝負の鉄則を忠実に体現したのが日本の勝因だと思う。ただ、それ以上に最大の要因は、オーストラリアが、自分たちのベスト、いやピークだったときの力を発揮できなかった ことに尽きる。6月のコンフェデ杯のチリ戦のパフォーマンスをみたら、到底かなわないと思ってたもんな。そしてわが日本のその後の戦いにも同じことを感じる。サウジ戦や、ニュージーランド、ハイチ戦などを見るにつけ (同じチームか?) と思わざるを得ない(ま、ハイチ戦は別チームだったが)

つまり、日本も豪も、素晴らしくもあり、また、時間や移動、コンディションや覚悟によって情けなくもなってしまう というのが集団競技の難しく、面白いところなのだ。

そしてわがAチームに結ぶ。3年前のスタート時はソースケのワンマンチームに過ぎず、大黒柱を失ってからは負け続けた世代だったが、フィジカルの成長と、フットボールへのわずかな理解、そしてほんの少しの自信を積み重ね、ちょっとだけ勝てるようになった。12Lやカップ戦で素晴らしい戦いがあった一方で、目を覆うような低質なゲームもみせた。同じ人間がやっているのになぜそんなことが起きるのか。選手と同じく、チームも生きものであるからだ。生きているからこそ、好調も不調もあろう。ただし忘れるな。自分やチームを、生かすも殺すも、結局は自分自身なのだ。
美しい勝利も、みじめな敗北も、すべてはおまえらが生み、おまえらが殺したのだ。

2017年9月10日日曜日

2017年8月25日金曜日

清水カップ2017-7

思い出のページ7
○おれたちの出番だぜ。
○えっ、後ろ姿か?
○いい目してるね。でも、試合中になぜ靴ひも結んでいるの?

2017年8月23日水曜日

清水カップ2017-6

思い出のページ6
○フィールドも任せろ
○ここにいるからな
○お前がそこだ。いや、お前がそこだ。もーわけわからん。

清水カップ2017-5

思い出のページ5
○お前の思い通りにはさせないぞ
○話を聞いていますか?
○よしよし、いい戦況だ。

2017年8月21日月曜日

清水カップ2017-4

思い出のページ4
あの〜、ボールはどこですか?
よくわかりません、僕はお手上げです(´∀`)

清水カップ2017-3

思い出のページ3
痛!

2017清水草サッカーの 写真

草サッカー奮闘 お疲れ様です。Web保守担当 Wコーチです。
今年もたくさんの写真が掲載されましたね。

百合丘子どもサッカークラブ庵原SCサッカースポーツ少年団の2試合 213枚が登録されています

http://fun.kusa1987.jp/photo2017/photo/search_view.php?day=&place=&event=&team=FC名古屋イーグルス&x=105&y=31&case=search&start=1


オールスポーツの高額写真はこちら
百合丘子どもサッカークラブ 戦が250枚ほどあります。
http://allsports.jp/event/00488975.html

パスコードは
0852

2017年8月2日水曜日

栄光への助走  — ミラクルイーグルスの進撃 —

年間スケジュールに入っていないカップ戦のオファーが入ったのは6月だった。
奈良と清水に挟まれてネガティブだった自分の背中を押してくれたのは、ほかでもない選手と家族たちだ。
町内行事で都合のつかないフィジカルモンスターをのぞき、全員が参加してくれることになった。
遠征費を抑えるため、自腹で車を出してくれるパパたちのご厚意に甘え、自家用車3台での出発である。

大阪夏の陣。名古屋と変わらず暑かった。初参加の小規模な大会だったが、格上やトレセンチームも交じる決して低いとはいえないレベルのカップだ。
事実、6試合中 3試合が1点差。アディショナルタイムにやっと2点差にした試合がひとつ、同点が1試合 という僅差の展開が続いた。
明らかな優勝候補がゴールと運に見放され、PK戦で散ってゆき。 選抜チームは、十数名全員が公平に出場するという縛りにとらわれ消えてゆく。
我々にとっての幸運も生かして、準決勝までの5試合を勝ち切り決勝の舞台にたどり着いた。
〇位トーナメント という余分な冠がつかない、真のファイナルだ。彼らにとっては当然人生で初のことだろう。
私にとっても3年ぶり。おそらくは過去、100を超える決勝を戦ってきたが、変わらぬこの緊張感が好きだ。

決勝 八尾FC戦キックオフ。 開始直後から裏へのスルーパスや、30mのアーリークロスがさく裂し、3度の決定機を迎える。
シュウ!シュウ!トウヤ! GKにぶつけたり、枠外だったりで流れをつかめぬと、その代償を払うことになり先制を許す。
さらに追加点まで献上し、いよいよ赤信号がともる。

ハーフタイム。タカは大きな声で皆を鼓舞し、まだ心は折れていない。コウセイは目じりが下がり、(ヤバい)という予感を隠しきれない。怒鳴られてばかりのジロウはふてくされ、シュウはすでに涙目だ。コウキ、ハルトは純粋な心のままに、こちらの指示に耳を傾ける。普段ベンチスタートのソウタは動きすぎの3試合目に、すでにパンク寸前だ。マイペースのトウヤは(結果はどうあれ自分の仕事をしよう)という開き直りに近い感覚か?カズミは水筒を渡したり、タオルを洗ったり、自分のできることに集中しよう と献身的だ。ウメは、(この6年相手じゃキツイから、みんな頼むね)っていう心境か(笑)

後半開始。均等なパワーバランスは、人のいないシーソーのように動かず、ゲームは膠着し時間だけが過ぎる。
給水タイム後の第4クオーターにはウメ、カズミを投入か、と思案していたところ、その直前 かつてボールが怖かったトウヤのヘッドで1点差に迫る。交代を思いとどまり、このメンバーとの心中を決意する。手元のウオッチが残り1分を切ったころ、ジロウの絶妙な裏へのパスがシュウの前に転がる。いつもならバテバテで息が上がってる5番が最後の力をふり絞り走る。4度目か5度目の正直でGKの脇を打ち抜き、奇跡的な同点ゴールが完全アウェーな大阪・門真のゴールに刺さる。

決着は残酷なPK戦(5人制)にゆだねられる。

1番手はシュウ。同点ゴールの勢いそのままに豪快に決める。
2番手タカ。PKを外し続け、PKから逃げ続けた男が敢然と立ち向かい、完璧に決める。
3番手コウキ。プレッシャーをものともしない5年生は、甘いコースだが気迫が相手キーパーを上回り決まる。
この日、すべての時間でゴールを守り続けてきたハルトが、相手のシュートをストップし、この試合初めてのリードを奪う。
4番手ジロウ。ハーフタイムに、「シュートの瞬間にリラックスしろ」 と送り出しても、ゴール前のチャンスで力み過ぎて空振る9番がおそろしく落ち着いてインサイドで流し込む。
5番手コウセイ。ついこの前の奈良で、悔し涙にくれた主将がスポットへ向かう。緊張やプレッシャーとは無縁の6番の顔がこわばる。重圧を乗り越え、意を決してボールをセットし、主審の笛の合図で栄光への助走が始まる。


いつのまにか和を育んだ緑の輪ができ、生まれて初めての歓喜に飛びはねる。
ひ弱でへたくそだったヤツらが、大阪の西日を浴びてやけにまぶしかった。


                 了




2017年6月4日日曜日

U20W杯観戦記 後編

あくる朝も快晴。チェックアウト時間は正午とのことでゆっくりできる。
本日は仁川まで向かい、エクアドル—アメリカ と サウジ—セネガル の2ゲームを観戦。昨日に比べればカードも興奮度も今ひとつだが、愛するフットボールが生観戦できる喜びに変わりはない。
水原 → 仁川 はタクシーなら40〜50分(3〜4千円)ってところらしいが、地下鉄と在来線を乗り継げば、300円くらいで行ける(昨日スタジアムで隣に座った日本人が親切に教えてくれた) ただし、2時間近くかかるが。サッカーと酒以外の目的などいっさいないひとり旅で、しかし時間だけはいくらでもある。ここはアジア各駅停車の旅に興ずることにする。汚れた窓の向こう側に、決して美しくはない異国の景色が流れる。韓国の日常の息遣いを感じながら乗り継ぎ駅で迷い、そのたび若者たちの親切心に救われる。良好とはいえない隣国関係も、郷に入っては優しさに出会える。だからサッカーの旅はやめられない。

仁川・松島(ソンド)のラマダホテルにチェックインして昨日食せなかった焼き肉ランチ。観戦をひかえビールも控えめにする。
タクシーでスタジアムへ。到着し降りるタイミングで二人の日本人があわただしくやってくる。聞くと、開催される競技場はここではないらしい。 そんなバカな! 降りようとしたタクシーにふたたび乗り込み、別のスタジアムへ急ぐ。仁川には二つのサッカー専用スタジアムがある。ひとつは15年前に開催されたワールドカップのために建造された仁川文鶴(インチョンムナク)競技場。そしてもうひとつが仁川ユナイテッドFCがホームとして使用する、仁川サッカー競技場だ(2012年建造)。JFAの公式HPにも、仁川文鶴と あったし、 いつ変更になったんだ!? 東京からやってきた彼らも、人がおらず閑散としていることに不安を覚え、よくよく調べてみたら違っていた ということだった。乗車すること20分、新しいほうのスタジアムに着く。タクシー代まで払ってくれて、そそくさと消えてしまったが、今から思えばひとりは 城福さん(元FC東京監督)だったように思う。あのときはあわててたし、(どこかで見た顔だな) と思ったが、尋ねるのも失礼だったしな。

それにしてもつくづく自分は 持っている と思う。スマホも使えず、言葉も通じないこの環境では、違う場所にひとり取り残されては対処のしようがなかった。日程を間違えたか、会場変更になったか と疑問をもっても確認しようもないし。まあ、それはそれで開き直って切り替えて、この状況を楽しむか くらいの腹はくくって来ているが。今までもヨーロッパで現地まで行って、チケットが手に入らず断念してTVやファンゾーンで見たことも何度かあったし。 サムスンの液晶TVで試合を放映している酒場にでも入って、焼き肉とヤケ酒 も悪くないさ。

そんなことも想像しながら自分の幸運に感謝しスタジアム入り。上記2カードで客席が埋まるはずもないのに、なぜかメインスタンド席は完売 とのこと。よほど空席が心配で招待券を配ったんだろう。久々にゴール裏だったが、最前列だったのでまた別の楽しみがある。芝の香りが鼻孔をくすぐり、選手たちのコーチングの声から息づかいまでが聞こえ、鍛えた肉体のぶつかり合う音が数メートル先で発生する。中南米(エクアドル)中東(サウジ)アフリカ(セネガル)。競技と世代は同じだが、その目的が日本人とまるで違うアスリートたちが死闘を繰り広げる。「お前のゴールも、仲間のゴールも、まったく同じ価値」 と教えられた日本選手たちの美しいパス回しとは対極 にある、(俺が活躍して、俺がゴールを決 めて、俺がヨーロッパに買われるんだ!) というエゴイスティックなプレイ。国を背負う若きサムライと、それ以前に、家族を食わすために命をかけるスラムの若者たち(スラムかどうか知らんけど笑) その鮮やかに対比するコントラストの、どちらもがフットボールに必要なもの。

2試合で計8ゴールが飛び交った乱戦を堪能して帰還。弾丸ツアーの名の通り、終わってみれば本当にあっという間に弾丸のように過ぎ去った。
二日間で4試合、8か国を見させていただきました。W杯やEUROと違い、ハタチ以下の若者が躍動する闘いはある意味、その国を映す鏡として、より正確に現状を物語っているだろう。年齢も能力も選手の覚悟も違うが、今年のAチームに生かすことができたら弾丸で行った甲斐もある。

今年もいつの間にか夏になってしまった。6年生と過ごす、3度目の、そして最後の夏が来た。





















U20W杯観戦記 前編

近いし、安いし、仕事もサッカーもあまり休まなくてすむし、って理由で韓国に行くことにした。
誰も一緒に行ってくれないので、今回は久々に おひとり様 だ。
ガイドもいない海外ツアーは 言葉 が唯一のネックだが、スマホの 翻訳 なる機能を手に入れ、
(まるでドラえもんの世界だな) と感心しつつ、メールと通話以外一切の機能を使用してこなかった私が初めてスマホの恩恵にあずかることになったわけだ。

夜明け前の4時台に出発し、一般道でセントレアまで走る。事故渋滞等のアクシデントがあると高速道では身動きがとれなくなる。6時のチェックイン、8時のフライトで名古屋を飛び立つ。

10時過ぎ、仁川国際空港に着陸し、以前よりはるかに厳重になった税関チェックを通過し十数年ぶりにKOREAの地を踏む。
インフォメーションセンターでバス乗り場を確認し、数十ある路線の中から水原(スウォン)までのを聞き出して乗車。 ← すでに翻訳機能のことは完全に忘れている(笑)
12時過ぎに水原着。ランチの店を探してIN。おススメのよくわからない鍋料理と韓国ビールを堪能。昼呑みのビアが身体にしみる。
まだ14時前だが、ホテルの好意でチェックインさせてもらい、しばしお昼寝タイム。心身を整えて、いざ日本戦へGO!
徒歩15分の距離だが、方向がわからないので安いタクシーで向かう。初めてのスウォンワールドカップスタジアムに到着し、チケット売り場を探しながら周辺を散策する。U20のW杯とはいえ、日本戦と、イタリア—ウルグアイ の好カード2試合のチケットが20000ウォン(2000円)とは驚きだ。代表のアップを観察し、君が代をともに斉唱し、体中の穴からアドレナリンが湧き出る。右SBの初瀬のザルぶりに憤慨するも、小川の納めるチカラ、板倉のボール奪取能力と久保くんの天才ぶりに救われて逆転勝ち。次節のウルグアイ、最終節のイタリア戦を考えると勝っておかなければならないゲームを勝ち切れてよかった。

1時間のインターバルののち、この旅のメインイベント イタリア—ウルグアイ。日本との対戦を見すえスカウティングを兼ねて観戦。まあ、私が分析したところで誰も聞きに来ないけどな(笑)
イタリアのGK、ミランのドンナルンマを注目していたが、やはりセリエAを優先して招集されていないようだ。
互いに固い守備をベースにしたカウンターサッカーで、スペクタクルとはほど遠いが、ウルグアイの寄せの異常な速さに戦慄を覚える。
デラクルスのPK失敗で重い展開となるも、アマラルのスーパーフリーキックが目の前で炸裂し、ウルグアイの勝利。
(イタリアには勝てそうだが、ウルグアイにはキツイな) 正直なところそう感じた。

暗い夜道を15分かけて歩いて帰り、ホテル周辺の酒場を物色する。『旅に出たら、もっとも入りにくい居酒屋に行け』 という家訓にしたがい、地元コリアンでにぎわう小汚い店に潜入。完全アウェーな雰囲気の中、オモニおまかせの料理とビアを注文する。頼みのスマホは、完全に機能を停止しており(空港でWi−Fiを借りて云々 と言われていたが、すっかり忘れていた) 日本語はおろか英語や写真表記すらないメニューに降参。ホントは焼き肉を狙っていたが、骨付きバラ肉?がこれでもかと入った辛口の鍋に舌鼓。ビアと韓国焼酎で旅の疲れを癒す。





















2017年3月31日金曜日

世界百名スタジアム 7

大田(テジョン)ワールドカップスタジアム。

02日韓、やはりHコーチと行った。
仁川国際空港から、お迎えの車に乗って、4時間くらい走った記憶がある。
グループリーグ最終節は、生か死か のドラマが凝縮されていて面白い。
そのグループは、開催国の韓国、キャプテン(当時)フィーゴ率いるポルトガル、ピークのドノバンがいたUSA、あと...ポーランドだったかな...よく覚えてない。
で、グループリーグ突破をかけての第3節。大注目の 韓国vs.ポルトガル! ..の裏で、地味におこなわれた USA—ポーランド (チケットが安く入手できそうだから選んだ)。
同時刻開催のナイトゲームだった。 夕闇にライトアップされたスタジアムがやけに美しく、幻想的にみえた。 アメリカとヨーロッパからのサポーターもいたが、やはり地元韓国の人が大多数を占めてる。しかし彼らの多くは、目の前の試合より裏番組のポルトガル戦のほうが気になるようで(当然だが)ラジオやラジカセを持ち込んで、ハングル語の実況に手に汗を握ってた。
正直...試合の結果も覚えてない(汗) ただ、デーゲームより、ナイトゲームのほうがいいね。暑さや日差しのストレスがないし、なんとなくビールも旨い気がする。
プレスリーのコスプレした米国サポとの記念撮影もすませ、ホテル近くの居酒屋へ。
二人でアホみたいに飲んで喰って。泥酔してホテルに戻ったら、機関銃を突きつけられた。そうだった。奮発して、いいホテルをとったら、偶然にもアメリカ代表チームが宿泊してるホテルだったんだ。 当時の韓米関係は、数か月前の冬季五輪で、ショートトラックかなんかで揉めてた因縁があってギスギスしてた。で、その影響でUSA代表が拠点とするホテルは厳戒態勢で警戒にあたってた。海兵隊?らしき米兵が銃を携えてすべての出入り口を固めて、出入りする民間人をチェックしてた。チェックインの際も、大きい荷物を持ってるもんだから厳重にチェックされ、日本のパスポートを掲示してようやく解放されたんだった。そんなことを忘れて居酒屋をハシゴし、おま けにコンビニでビールと韓国焼酎をしこたま買い込んで、千鳥足で高級ホテルに戻ったもんだから、あきらかに怪しい韓国人にみえたんだろうな。
生まれて初めて銃口を突きつけられ、酔いでよくまわらない頭でも(これはマジでヤバい)と悟った。なんとかわかってもらい、無事に部屋にたどり着いた。すっかりさめた酔いと、冷えた肝を再び温めるため飲みなおし、翌日は二日酔いだった(笑)

今はなきHコーチとの、懐かしき想い出である。

使い捨てカメラで撮った写真しかないので、アップできなくてすみません(涙)


藤枝遠征&新A発進



5年生最後の 大会イベント 蹴力カップ。
過去の県外カップ戦はすべて 最下位トーナメントに進出を決めている(笑)一度くらい上位争いに進んでみたいものだったが、最後のチャンスをものにできました。
相手の ホストチーム、蹴力レッドは 3年生まで入って、平均すると4年生くらいのチーム。負けられない。
けれどよくよく考えたら、うちもスタート(先発)の半分が4年生、7人の5年生のうち早生まれが4人(うち先発は2〜3人)という、ほとんどU10カテゴリーに近いグループなんだな(笑)
4月からも U11リーグ でやらせてもらえんかな。すでに12Lにエントリーしちゃったけど。

さあ〜いよいよ新年度。過去に率いた十数チームの中で、間違いなく史上最弱の戦力だ。戦力的にも、サッカーにのぞむ姿勢も、ため息の出る新6年生と過ごす最後の一年。

現中三のチームやかつて率いたたくさんのチームがいかに恵まれていたかに気づかされたよ。君たちと出会ってから。まぁ愚痴っていてもしかたない。不安も大きいけど、わずかな期待だってある。J2常連チームが初めてJ1昇格したときの心境ってこんな感じだったんだろうな。やってやろうじゃないか!
失うものは何もない。楽しみでしかたない。皮肉じゃないよ。本音だよ(笑)

世界百名スタジアム 6

今年、久々に海外観戦ツアーに出かけようと思う。 

5月に韓国で U20ワールドカップ が開催される。日本のグループを見たら、「死の組」だったが、観戦には面白そうだ。
ついでに昔を思い出したので筆?をとった。

2002年日韓ワールドカップのときに訪れた。 済州島 チェジュワールドカップスタジアム。
昨年心を病んで(笑)リタイアしたHコーチと一緒に行った。
スタジアム紹介ガイドに 「スタジアムから眺める景色が世界一美しい」 とあった。
(世界中のスタジアム見比べたのかよ!大げさな) とツッコミ入れたけど、ホントに綺麗だったな。
オッサン二人で見るにはもったいないほどに。
スタジアムは、岬の端のほうに建てられており、180度は海に囲まれている。
その日はとくに天気もよく、穏やかな風が流れ、海はキラキラと静かに凪いでいた。
周辺を騎馬警官がゆっくりと闊歩し (そういえば、ドイツでも韓国でも馬に乗った警官がいたけど、なんで日本にはいないんだろうな) 異国情緒を楽しんだ。
試合は決勝トーナメント(いわゆるノックアウトラウンド)に入っており、負けたら終わり の緊張感が漂っていた。
カードは ドイツ—パラグアイ だったっけ。 当時、世界最高のGK の座を争っていた (オリバー)カーン対チラベルト の対決に心躍らせたものだ。
期待に反し、PK狙いで家に閉じこもるパラグアイを単調なロングボールで攻め立てるドイツ というあくびのでる展開だった。
延長に入り、今ではすっかり見なくなった 『Vゴール方式』 に少しだけ盛りあがったが、退屈しのぎに飲みすぎてしまったHコーチは、すっかり寝入ってしまい
(このオッサンは日本から何しに来たんだ)と蔑んでみてた記憶がある。
延長後半に結局はドイツがこじあけ、順当にベスト8に進んだ。ひれ伏すパラグアイの面々を次々に抱き起してゆくチラベルトがやけにカッコよく、まぶしかったな。
そういえば先日、そのチラベルトの現在 が動画UPされてたが、何があった??ってくらい大きくなって(体重130kgくらいはあるね)笑ってしまった。
この大会の得点王のロナウドも、メチャクチャ太ってしまったし、南米のアスリートは引退すると激太りする伝統でもあるのかな。マラドーナもそうだったし。
夜は二人で高級な焼き肉店で暴飲暴食(笑)
ホテルに戻り、爆睡するオッサンをひとり残し、地下のカジノへGO!(チェジュドは合法カジノが認められてる特区だった)
ルールもわからんのに、バカラとかいろいろやって、ビギナーズラックで大勝(笑) とたんに群がるストリートガールたち。
「ハニー、残念だ!部屋にはバカがひとり寝てるから、連れていけないんだよ(涙)」 心底、ひとりで来ればよかった と後悔した夜だった。

2017年1月11日水曜日

第95回 高校選手権

正月休みは、クラブの初蹴りイベントをバックレて、全国高校サッカー選手権 を堪能した。
1/2 in等々力 東福岡—東邦  1/3 in駒沢 山梨学院—駒大高 等を観戦した。

かつてはケイシCや、小澤竜己らを育ててくれた、青森山田の黒田監督にまずは 初優勝おめでとう をいいたい。

選手権をみていつも思うことは、その時代時代の流行や、学校・監督の志向が色濃く反映されていて面白いなあ ってところだ。
3年ぶりの選手権だったが、足元の技術、タテへの速さ(いわゆる ショートカウンター) は、ずいぶん進化していると感じた。
前線からのハイプレス、奪ったあとのくさび、それに連動する2 列目。 5年前に流行ってた、バルセロナ流ポゼッション は、みた限りの十数チームでは見かけなかった。
プレミアやセリエAで主流となっている守備ベースのカウンターサッカーが、負けたら終わり のトーナメントに合っている、というのもあるのだろう。
小倉グランや、FC岐阜 のスタイルよりも、指導者がはるかに勉強して研究していると感心する。 

また、聖和学園(宮城)のように、ドリブル主体で、独自のフットボールを突き詰め、とことんこだわっているチームがあることも面白い。
選手の資質がそうさせたのか、グランドなどの環境がそうさせたのかわからぬが、今や世界のどこにも見ない個人技重視で状況を打開しようとするやり方は、ほとんど 化石に近いが、ああいうチームからメッシや乾、宇佐美なんかが生まれる可能性があるからいいんじゃないか。十数年前の野洲の「セクシーフットボール」よりも技術的に高いだろう。
ただし、完敗した青森山田戦のように、相手の能力がずいぶん上回り、1対1で負けたり、囲まれて奪われたりするシーンが続いても、あくまでドリブルにこだわるところは、あきれるを通りこしてバカだと思うけど。 なんのためにドリブルをするのか、その根本的なところが間違っているよ。すべてはゴールや、チームの勝利のためにするプレイなのに。

いっぽうで、技術や戦術の進化のなかで置き去りにされてるのが キック だ。 無回転シュートや、インスウィングの美しい弧を描くクロスは練 習のあとがみられる。
けれども、クリアリング、とくに少し崩れた体勢で掻き出すクリアのキックが目を覆うほどへたくそだ。 実況が 「二次攻撃、三次攻撃!」 などと興奮をあおるが、なんのことはない、クリアミスでピンチを脱しきれていないだけだ。
ボールが進化し、反発力が高まり、少々芯をくわなくても蹴れた気になっている選手が多いんじゃないか。苦手な足でも、倒れそうな体勢でもきちんとボールを遠くへ飛ばすキックのスキルが低すぎる。正確に数えたわけじゃないが、得点の3分の1、いや半分近くにクリアミスがからんでいる気がする。
単に 芯を蹴る練習の不足か。体幹が弱くぶれてしまうのか。 その部分の修正・底上げで、失点の半分が減るというのに。
かつてクラマーさんが釜本ら当時の代表にこう怒鳴った 「横浜まで蹴れ!!」 (笑)
俺もマネして富浜でやってるときはこう叫ぼう  「有松まで蹴れ!!」

2017年1月8日日曜日

VAR

アトレティコ・ナシオナル vs. 鹿島 のゲームはいろんな意味で歴史的な一戦になった。

VAR(ビデオアシスタントレフェリー) その存在は聞いてはいたが、実際に運用されるのを初めてみた(まあ、初めて実施されたのだから当たり前か)
野球やテニスと同じく、ビデオ判定がフットボールにまで持ち込まれる時代がこんなに早く来るとは思わなかった。
懸念されるのは、われわれが関わる U12カテゴリーや、中学・高校年代においての「判定」に対する見方、あるいは「誤審」に対する許容度が変わるんじゃないか ってことだ。

マラドーナの「神の手」に限らず、あらゆる大会・リーグに誤審はついてまわった。ときに大きく物議をかもすことはあっても許されてきたのは、人々の心の奥底に(誤審も含めてのフットボール)という価値観が共有されてきたからだと思う。
だが近年、MLBに始まった「チャレンジ」というビデオ判定の波がNPBやサッカーにまで押し寄せてきた。
正確でない判定は悪 という認識が広まり、根付きやしないか ってことがこわい。
近年、少年サッカーは 8人制 が主流になり、同時に 主審ひとり制 まで当たり前になった。ピッチは多少狭くなったとはいえ、副審なしでひとりですべて見きるのは不可能に近い。これが中学・高校生なら、とりあえず選手は(次はこうしよう)と考えてプレイするから、次にボールの動く場所もある程度予想がつきやすいし、先を読んで動きやすい。だが小学生の、しかもうちのチームのような低レベルになると、考える前にボールをけったり、そもそもなにも考えてなかったり(笑)するから始末が悪い。想定外のことが多すぎて、Jで吹いている1級レフェリーでも混乱するだろう。

だからなのか、審判は苦手、嫌い という人も少なくない。聞くと、誤った判定をすることへのこわさや、不利な判定をされたチームからのクレームがプレッシャー ってことらしい。
私にしてみれば、(W杯のレフェリーでも間違えるのに、アマチュアの自分が完璧にやれるわけがない) という開き直ったメンタルでやるから、まったくノープレッシャーだ。
ただし最近は、体力的な問題で翌日や翌々日の仕事にまで影響を与えるようになったため、極力避けるようになったが。

試験的運用ってことなので、はたして実現に向かうかはわからぬが、却下(導入断念)まで含めて、慎重な判断をお願いしたい。
決定的な場面での「誤審」で、勝敗が覆ったっていいじゃない。 運までも含めて スポーツ なんだ。 命をとられるわけじゃなし。
社会へ出ても、そんなこといくらでもあるだろう。

 

今はもうとっくにハタチを過ぎているヤツが5年生のときだったから、10年以上昔のことだ。

フィジカルに難点はあるが、スキルが高く、賢く、抜群のパスセンスを持っていた。
今のイーグルスのメンバーではとうていかなわない能力の持ち主だった。
50m 8.○秒  リフティング○○○回  市トレの基準よりはるかに厳しいチームのハードルを楽々クリアし、当然のように私の推薦を受けた。
合格して活動した市トレで、自分より大きく、速く、上手い選手に大勢出会い、自信を失くしていた。

「名古屋の同学年だけで自分よりすごいやつがいっぱいいる。Jリーガーなんてなれるわけない」 帰り道の車で母親にもらしたらしい。

一方で数年前、このイーグルスのなかでもレギュラーをとれなかった選手が 「夢はJ経由ヨーロッパ」 と語ったときには背筋が寒くなる気がした(笑)

夢を持つのは悪くない。いやそれどころか、少年は(少女も)夢を持たねばならない。
ただし、夢を語るなら、その夢に向かって努力する責任が生まれる。 努力を放棄し語る夢は、夢ではなく妄想と呼ぶ。

新年が明けた。 昨年までの自分と決別し、新たな目標を設定してそれに向かってがんばるのにこれ以上のタイミングはない。

イーグルスのみんな、君は、夢を語れるか。