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2017年1月11日水曜日

第95回 高校選手権

正月休みは、クラブの初蹴りイベントをバックレて、全国高校サッカー選手権 を堪能した。
1/2 in等々力 東福岡—東邦  1/3 in駒沢 山梨学院—駒大高 等を観戦した。

かつてはケイシCや、小澤竜己らを育ててくれた、青森山田の黒田監督にまずは 初優勝おめでとう をいいたい。

選手権をみていつも思うことは、その時代時代の流行や、学校・監督の志向が色濃く反映されていて面白いなあ ってところだ。
3年ぶりの選手権だったが、足元の技術、タテへの速さ(いわゆる ショートカウンター) は、ずいぶん進化していると感じた。
前線からのハイプレス、奪ったあとのくさび、それに連動する2 列目。 5年前に流行ってた、バルセロナ流ポゼッション は、みた限りの十数チームでは見かけなかった。
プレミアやセリエAで主流となっている守備ベースのカウンターサッカーが、負けたら終わり のトーナメントに合っている、というのもあるのだろう。
小倉グランや、FC岐阜 のスタイルよりも、指導者がはるかに勉強して研究していると感心する。 

また、聖和学園(宮城)のように、ドリブル主体で、独自のフットボールを突き詰め、とことんこだわっているチームがあることも面白い。
選手の資質がそうさせたのか、グランドなどの環境がそうさせたのかわからぬが、今や世界のどこにも見ない個人技重視で状況を打開しようとするやり方は、ほとんど 化石に近いが、ああいうチームからメッシや乾、宇佐美なんかが生まれる可能性があるからいいんじゃないか。十数年前の野洲の「セクシーフットボール」よりも技術的に高いだろう。
ただし、完敗した青森山田戦のように、相手の能力がずいぶん上回り、1対1で負けたり、囲まれて奪われたりするシーンが続いても、あくまでドリブルにこだわるところは、あきれるを通りこしてバカだと思うけど。 なんのためにドリブルをするのか、その根本的なところが間違っているよ。すべてはゴールや、チームの勝利のためにするプレイなのに。

いっぽうで、技術や戦術の進化のなかで置き去りにされてるのが キック だ。 無回転シュートや、インスウィングの美しい弧を描くクロスは練 習のあとがみられる。
けれども、クリアリング、とくに少し崩れた体勢で掻き出すクリアのキックが目を覆うほどへたくそだ。 実況が 「二次攻撃、三次攻撃!」 などと興奮をあおるが、なんのことはない、クリアミスでピンチを脱しきれていないだけだ。
ボールが進化し、反発力が高まり、少々芯をくわなくても蹴れた気になっている選手が多いんじゃないか。苦手な足でも、倒れそうな体勢でもきちんとボールを遠くへ飛ばすキックのスキルが低すぎる。正確に数えたわけじゃないが、得点の3分の1、いや半分近くにクリアミスがからんでいる気がする。
単に 芯を蹴る練習の不足か。体幹が弱くぶれてしまうのか。 その部分の修正・底上げで、失点の半分が減るというのに。
かつてクラマーさんが釜本ら当時の代表にこう怒鳴った 「横浜まで蹴れ!!」 (笑)
俺もマネして富浜でやってるときはこう叫ぼう  「有松まで蹴れ!!」

2017年1月8日日曜日

VAR

アトレティコ・ナシオナル vs. 鹿島 のゲームはいろんな意味で歴史的な一戦になった。

VAR(ビデオアシスタントレフェリー) その存在は聞いてはいたが、実際に運用されるのを初めてみた(まあ、初めて実施されたのだから当たり前か)
野球やテニスと同じく、ビデオ判定がフットボールにまで持ち込まれる時代がこんなに早く来るとは思わなかった。
懸念されるのは、われわれが関わる U12カテゴリーや、中学・高校年代においての「判定」に対する見方、あるいは「誤審」に対する許容度が変わるんじゃないか ってことだ。

マラドーナの「神の手」に限らず、あらゆる大会・リーグに誤審はついてまわった。ときに大きく物議をかもすことはあっても許されてきたのは、人々の心の奥底に(誤審も含めてのフットボール)という価値観が共有されてきたからだと思う。
だが近年、MLBに始まった「チャレンジ」というビデオ判定の波がNPBやサッカーにまで押し寄せてきた。
正確でない判定は悪 という認識が広まり、根付きやしないか ってことがこわい。
近年、少年サッカーは 8人制 が主流になり、同時に 主審ひとり制 まで当たり前になった。ピッチは多少狭くなったとはいえ、副審なしでひとりですべて見きるのは不可能に近い。これが中学・高校生なら、とりあえず選手は(次はこうしよう)と考えてプレイするから、次にボールの動く場所もある程度予想がつきやすいし、先を読んで動きやすい。だが小学生の、しかもうちのチームのような低レベルになると、考える前にボールをけったり、そもそもなにも考えてなかったり(笑)するから始末が悪い。想定外のことが多すぎて、Jで吹いている1級レフェリーでも混乱するだろう。

だからなのか、審判は苦手、嫌い という人も少なくない。聞くと、誤った判定をすることへのこわさや、不利な判定をされたチームからのクレームがプレッシャー ってことらしい。
私にしてみれば、(W杯のレフェリーでも間違えるのに、アマチュアの自分が完璧にやれるわけがない) という開き直ったメンタルでやるから、まったくノープレッシャーだ。
ただし最近は、体力的な問題で翌日や翌々日の仕事にまで影響を与えるようになったため、極力避けるようになったが。

試験的運用ってことなので、はたして実現に向かうかはわからぬが、却下(導入断念)まで含めて、慎重な判断をお願いしたい。
決定的な場面での「誤審」で、勝敗が覆ったっていいじゃない。 運までも含めて スポーツ なんだ。 命をとられるわけじゃなし。
社会へ出ても、そんなこといくらでもあるだろう。

 

今はもうとっくにハタチを過ぎているヤツが5年生のときだったから、10年以上昔のことだ。

フィジカルに難点はあるが、スキルが高く、賢く、抜群のパスセンスを持っていた。
今のイーグルスのメンバーではとうていかなわない能力の持ち主だった。
50m 8.○秒  リフティング○○○回  市トレの基準よりはるかに厳しいチームのハードルを楽々クリアし、当然のように私の推薦を受けた。
合格して活動した市トレで、自分より大きく、速く、上手い選手に大勢出会い、自信を失くしていた。

「名古屋の同学年だけで自分よりすごいやつがいっぱいいる。Jリーガーなんてなれるわけない」 帰り道の車で母親にもらしたらしい。

一方で数年前、このイーグルスのなかでもレギュラーをとれなかった選手が 「夢はJ経由ヨーロッパ」 と語ったときには背筋が寒くなる気がした(笑)

夢を持つのは悪くない。いやそれどころか、少年は(少女も)夢を持たねばならない。
ただし、夢を語るなら、その夢に向かって努力する責任が生まれる。 努力を放棄し語る夢は、夢ではなく妄想と呼ぶ。

新年が明けた。 昨年までの自分と決別し、新たな目標を設定してそれに向かってがんばるのにこれ以上のタイミングはない。

イーグルスのみんな、君は、夢を語れるか。