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2012年3月25日日曜日

荒わしカップ2

荒わしカップ、2勝3敗。
清水の子どもたちはみんなサッカーが上手です。たくさんの勉強をしました。この経験をこれからの成長のかてにしなければなりません。
晴天に恵まれ、二日間とも美しい富士山を見ることができました。

荒わしカップ

4年生10人、3年生4人は清水、荒わしカップに参加しています。
全員元気で全開です。o(゜∇゜*o)(o*゜∇゜)o〜♪

2012年3月22日木曜日

固いキズナ

固いきずなに想いを寄せて...

先日、高校を卒業したばかりの連中の「同窓会」があった。
彼らの父母の、一部グループとの飲み会はたまに催されてはいたが、ABの垣根をこえ教え子が一堂に会しての集まりは初めてだった。
たまたま、仲間うちから「日本一」が出た、というのも動機づけにはなったのだろう。30人ほどの卒団生のうち、都合がつかなかったり、連絡が取れなかったりした数名を除き、21人の若者が集った。半分近くが6年ぶりに会う顔だった。なかには、変ぼうのあまり、誰か思い出せないヤツもいた。サッカーと学年以外、共通するものはなにもなく、会ってしばらくの戸惑いと照れも時間の経過とともに消え、心と頭は「小学生」に戻って遊んだ。寒風と花粉の舞う中、3時間もフットサルに没頭し、その 異常なうまさに感心した。隣のコートのスクールコーチが「どんな組織ですか!?」と驚嘆して聞いてきた。
中高で全国を経験したものは5名、クラブや部活で「主将」や「副主将」の肩書をもつものは7〜8名。それ以外もほとんどの者が、なんらかのカタチでサッカーとかかわっていた。さすがに、これからもフットボールに人生をかける者は半分にも満たなかったが、彼らのプレイ中の表情を見れば彼らにとってのサッカーがなんなのか手に取るようにわかった。

6、7年前を振り返ると、ベストの指導ができたとはいいがたい。アレもコレも、教えられなかったことのほうが多い。成績も、彼らの力量に見合った戦果だとはとてもいえない。けれども、サッカーに魅了されてやってきた子どもたちが、学生になる今も変わらずフットボールを愛している。その1点においてのみ、僕ら指導者がやった仕事は、悪くなかったんじゃないか、と思う。
「目標は、サッカーが好きで好きでたまらない少年を育てること」 いつかの総会でそう語ったから。

彼らの未来に栄光あれ。君に幸せあれ。
(BGMは長渕剛『乾杯』でお願いします・笑)

2012年3月18日日曜日

西尾チャリティーカップ

6年生最後の大会。素晴らしいチームワークでした。たくさんの感動をありがとう、6年生の選手たち。

うさぎ

昨日の総会で表彰され立派なトロフィーを頂きました。

このチームは叱られ叱られ(^-^;勝ち負け色々ありましたが選手達はよく頑張りました。

来期も参戦します!

2012年3月12日月曜日

Education & Soccer

Education & Soccer
震災から1年、明日の日本をを考えるとき、子どもたちの教育やサッカー、そして子どもたちの将来を考えずにはいられません。1年間勤務した小学校の子どもたちへのメッセージを転載します。
<大清水小学校のみなさんへ>
ー震災から1年ー
6年生はもうすぐ卒業ですね。少し早いですがお祝いの言葉をいいます。「大清水小学校の6年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。あなたたちはこれからの日本を担っていく人たちです。これからも一生懸命勉強をしていってください。」
昨日震災から1年が経ちました。先生はあなたたちに伝えたい事があります。先生は震災からずっと考えてきたことがあります。それは「がんばろう!日本」という言葉です。先生は何をがんばればよいのか?と。そして、見つけた答えがあります。
今日お話しするのは「石巻市立大川小学校のこと」と、「さかなクン」のことです。
みなさんは大川小学校のことを知っていますか。震災で全校の子ども108人の内、70人の子どもが亡くなり、4人の子どもが行方不明となってしまった学校です。30人のクラスだとすると、30人の仲間の内、実に20人の以上の子どもが死んでしまったのです。冷たい津波にさらわれてどんなにか苦しかったろう、又どんなにか生きたかったかと思うと、本当に胸が痛みます。大川小学校の子どもたちは学校で楽しく過ごすことも、将来の夢を語ることもできなくなってしまったのですね。
どうしてそんなにたくさんの犠牲者がでたのでしょう。それは逃げようとしたときに津波が来る方向へ逃げてしまったからです。またそんなところまで津波がくると思わなかったからです。こんなことになってしまったのは防災意識の低さからと言われています。
先生方も子どもを守ることができず、どんなにか無念な気持ちだったろうと思います。
私たちは普段当たり前のようにして生きています。しかしそんな当たり前のことができなくなってしまうと、「その事がどれほど素晴らしいことか」ということが改めてわかります。
ところで、みなさんは「さかなクン」のことを知っていますか。お魚の帽子をかぶって「ギョギョ〜」という言葉を使う人です。テレビにもよく出てくるので知っていますよね。
さて、さかなクンは大学の先生ですが、さかなクンがさかなのことを大好きになったきっかけを知っていますか。
<問題です>
①小学校2年生のとき、さかなクンの自由帳にウルトラマンとすみを吹いて戦っているタコの落書きがかかれていたのを見て、タコのかわいらしさのとりこになったから。
②6年生の時、友だちから卒業の記念にとってもステキな魚のイラストをもらったから。
③3年生の時、お家の人と行ったお寿司屋さんで、とっても美味しいお寿司を食べたから。
答えは①です。
さかなクンはそれから、図書館でタコの図鑑を読みあさり、お母さんには、1か月かんずっとタコ料理をつくってもらったんです。タコだけでなく魚のことが大好きになったさかなクンは、中学校3年生のとき日本でも珍しいカブトガニの養殖に成功します。魚のTVチャンピオンにもなります。そして、今は大学の先生になりました。
田沢湖で絶滅したと思われていたクニマスを富士山の近くの西湖で再発見して、天皇陛下から「この度の、クニマスの発見に、さかなクン始め多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います。」とほめていただいたんです。本当にすばらしいことです。
さかなクンは、小学校の卒業文集に将来の夢を次のように書きました。将来の夢は「水産大学の先生になることです。研究したことを、いろいろみんなに伝えてあげたいからです。」と。夢がかなったことになりますね。
大川小学校の子どもたちのことは残念でなりませんが、「自分の目標に向かって一生懸命生きる。」ってことはとても大切なことで、みなさんも自分の将来に向かって精一杯がんばってください。

そして、先生の「がんばろう!日本」は「みなさんががんばることを応援すること」だとわかりました。
今年一年みなさんが、図工や書写や読書を頑張ってくれてとてもうれしかったです。みなさん、これからもがんばってさかなクンのようになってください。
岩本先生より

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2012年3月11日日曜日

3/10-11 奈良遠征

3/10、11と6年生は奈良遠征に行ってきました。2勝5敗でしたがとても勇敢に戦いました。そのチームスピリットは賞賛に値する素晴らしいものでした。
選手がした、宿舎でのお礼の言葉。
コーチ…今日は震災から一年です。そのことについてどう思うか、お礼の言葉に添えて話してください。
選手…今日は震災から一年たちますが、震災でサッカーができなくなった選手の分も頑張ってプレーします。昨日、今日とお世話になり、ありがとうございました。
宿舎の人の話…震災でサッカーがができなくなった子の分もがんばるんですね。ぜひ頑張ってください。
イーグルスの選手たちが、これからもサッカーを通して成長してくれることを心から願っています。
岩本コーチ

獺祭

だっさい。

プレーのことでは無い。今日の素晴らしい戦いにに乾杯している。日本酒である。

慌ててはいけない。昨日栓を開け、空気に触れてまる1日。1年ものあいだ熟成されたこの酒はこれで眠りから完全に目覚めた。価値あるものを味わうにはそれなりの準備が必要なのだ。

お花見まではこの酒で!店主のお話し。…何の話しだ?