Translate

2015年10月26日月曜日

トヨタのカイゼン

地元プロ球団の監督人事が決まった。
私がとうに社会人になっていたころに高校生だった若者が、いつのまにかS級をとり監督を務めるまでに歳をとった。
私が老いさらばえるのもしかたない。

最近BS6chでやっている『刑事コロンボ』が好きでよく見ている。 
70年代の映像に 『TOYOTA』 の看板が映っているのを見ると、感心し誇らしい。
ずいぶん昔に読んだ本にこうあった。
TOYOTAが米国に進出した際、販売店よりも先に修理工場を建てた。
売るより先に、メンテナンスのことを考える我が国の企業の先見性は驚きだった。

つねに先の先を見ている世界的カンパニーが、なぜにサッカーに関してはポリシーも方向性もなく、いきあたりばったり なのか。
フロントに カイゼン の意識は皆無なのか。
新監督の力量うんぬんではない。 J の中での立ち位置と今後を見据えれば、なにから手をつけなければいけないのかがわかってない。

これからどういうチームになっていくのか。どういうサッカーを目指していくのか。 そこがあいまいなままで、なにを積み上げようというのか。

少し前にも書いたが、これで降格も決定的だろう。 落ちて、そこから本気でカイゼンすればいい。
その先に日本一の会社の本領が発揮されればいい。

さて、振り返ってわがCチーム。 どこをどうカイゼンすればよくなっていくのか皆目見当もつかない(笑)

ひとのことにツッコミは入れるのに、わがことになると盲目になる、私もまた日本人なのだ(笑)


受け継がれるスピリット

いつもならとうに寝ているはずの夜10時過ぎ、たまたま起きてたら懐かしい名前から1本の電話が入った。

「ご無沙汰しています。遅くにすみません。 教員試験に合格し、春から小学校の教師になることが決まりました」

まだ私が三十代のまっただ中のときに出会い、3年の時をともに過ごし、いい思いも、悔しい思いも共有した。
卒業していったのは、ちょうど10年前だ。
正直、スーパーな選手ではなかった。 市トレの推薦はしたが、一次であっさりと落ちてきた(と思う)
現在、J2の下位チームでちょこちょこ出てるヤツに比べれば、スピード・フィジカルで天地ほどの差があった。
ただ、今のCチームの面々(一部の選手だけだが)もがんばって提出している 星マーク表 を一番たくさん提出した、努力のカタマリだった。
練習のスプリントや対人プレイで、手を抜いてる場面をみたことは一度もなかった。
ミーティングのとき、いつ顔をみても真っすぐこちらをみている澄んだ瞳と目が合った。
公式戦やカップ戦で敗れると必ず涙をみせていた。 もしかしたら、あの学年の30名のなかで、もっともサッカーに対して真摯に向き合ってたヤツかもしれない。

アイツならきっといい教師になるに違いない。 たぶんサッカー部もいずれ任されるだろう。

二十代でこの道にはまり、気がつけば五十路がすぐ近くにやってきており、わたしに残された時間もずいぶん少なくなってきた。
けれど彼のように、私のスピリットをわずかでも受け継ぐものがいる限り、ニッポンのサッカーの枝葉の先っちょに、自分の血が流れてる気がしてちょっぴりうれしい。
たとえこの身が朽ち果てても、その精神が生きてさえいれば。