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2014年11月5日水曜日

交流戦とJ観戦

日曜日、U10カテゴリーにて交流戦、4年生中心に参加しました。
会場は名古屋中学(^^)
片面ではU13カテゴリーの交流戦、まずはみんな揃って挨拶です。


さぁ、試合開始!
良いプレーは出来たかな?
本当に良いグランドだなぁと綺麗な人工芝にうっとり(笑)





2チームと対戦した後は瑞穂に移動し、グランパス戦を観戦!!
相手はFC東京。


そして、子供達はかなり楽しみにしてたイベント。
選手との写真撮影(^o^)丿
誰が良いの?って聞いたら

「武藤!!!」

って、おいおい・・・

受付済まして、待つこと少々。
ピッチを眺めながらバックスタンド側まで行き


待つこと少々。


田鍋選手が来てくれました!
ハイタッチもしてくれましたね(^^)

その後は解散し、観戦しました。
試合は引き分けでしたが沢山の良いプレー、ゴールシーンも見れて楽しかったね!

それにしても武藤のゴールは凄かった・・



 

 
 

名古屋少年サッカー大会 ~Aチーム~

この前の3連休の初日、Aチームは名古屋少年サッカー大会でした。
負けたら終わりのトーナメント。
前の日からの雨は止む事も無く、かなりの激しさでした。
Aチームの大事な戦いには雨が多い気が・・・
この子たちの誰かなのか、お父さんやお母さんの誰かなのか
強力な雨男、雨女が居るんだろうなと(笑)




ピッチコンディションは最悪。泥んこピッチなら、その様な戦い方で!
1回戦は見事突破!(^^)!
ビチャビチャの緑ユニから、白ユニへ替え
2回戦へ



何試合も行ったグランドは更に酷い状態に・・
先制されたものの、前を向き、戦う姿勢を見せていた彼らは
たくましく、勝利を手にしてくれました!(^^)!

3回戦までは少し時間が有りますので、しっかりと練習して
頑張ろう!!!




2014年11月2日日曜日

サッカーを、愛しているか

最近、ものすごく大事なことに気がついた。

今、一生懸命サッカーをやっている子どもたちのうちの何割かは、実はサッカーのことを好きではないのではないか、 ということだ。


話は40年近くさかのぼる。私は小学校に入りたての頃、まわりがやっているから、という理由で野球をやり始めた。
家では親父が野球ばかり見ていたし、いつも一緒に見ていたから、私も自然に中日ファンになり、アンチ巨人ファンになった。
小学校のうちは少年団に入ってプレイしていたし、中日を追いかけて、豊橋、草薙、甲子園にも足を運んだ。

サッカーに目覚めたのは中3の初夏、スペインワールドカップ準決勝の 西ドイツ−フランス戦(NHK録画放送)を観てからだ。

高校に入った後も野球は見続けた。中日のたまのリーグ優勝に熱狂したし、甲子園球児たちのプレイに興奮した。
だが40歳を過ぎて、いつしか野球に興味を失ってしまった。今では中日の選手も半分以上識別がつかない。
朝のメジャー中継も見るが、ダル、マー君、オルティズ、カブレラ、カーショー、...等一部のビッグネームのプレイしか興味ない。
なぜかというとボールの動かない時間が多すぎるし、試合自体も長すぎて退屈してしまうからなんだ。 結局、野球というスポーツを本当のところ、愛してはいなかったんだな。
いや、当時は愛していたのかもしれないね。ただ、愛には賞味期限があるということかもな。あなたたち夫婦がそうであるように(笑)


さて、で40年後の現在。W杯は全試合中継され、J3なるカテゴリーまでできた。プレミア、ブンデス、セリエA...
この私でさえとてもすべては見きれないほどフットボールがあふれてる。 この状況は私が子どものころ、野球に囲まれていたのと似ている。

いつもテレビで見てるから、まわりのみんながやってるから、そんな理由で始め、サッカーが好き と勘違いしてる子はいないだろうか?

幼き日にボールを蹴った。止める・蹴る・運ぶ が上達した。シュートが決まった。フェイントが決まった。だから楽しい!

低学年まではそれでいいだろう。だが10歳を過ぎれば、少しずつでもフットボールの本質に近づいていかなくてはならない。

高学年になれば、ゲーム全体のことを考えなければならない。いかにして相手からボールを奪うか。いかにゴールを奪うか。
次のことを予測して、今すべきことを判断する。よみどおりにボールやゴールを奪う。こちらの よみ を超え、奪われる。
それも含めてフットボールの面白さなんだ。 長くて40分のゲーム。22人(今は16人が多いが)がひとつのボールを追う。
ひとりがボールをプレイする時間なんてどれだけ長くても2分もない。ほとんどの選手は1分にも満たない。いや30秒にも満たないだろう。
つまり残りの39分以上はボールを持たない時間なんだ。 これを オフザボール というが、このボールがないときにいかに考え、いかに動くか。
これがほとんどサッカーのすべてといってよい。 なのにどうだろう。リフティングこそ長けてても、ボールが来るとあわて、滅茶苦茶。
ボールがないときはどうしていいかわからない。というより、なにもしなくていい とさえ思ってるんじゃないか。

ノンプレッシャーの中でボールスキルのアップするDVDやスクールばかりが巷にあふれ、それをドリルし、そこに通えば上手くなった気になっている選手と家族がいるようだが、実は大きな勘違いだ。

意味なくボールをこねくることに注力する時間があるなら、ゲーム(試合)を観よう。現地観戦でなくてもいい。テレビでJリーグでもいい。ヨーロッパリーグでもいい。土日に1試合ずつでもいい。90分間、集中してゲームを見続けられるか。トップレベルのゲームを観れば、なにかしら得られるものがあるはずだ。

自慢じゃないが、私は毎週5〜6試合は見ている。そしてそれに反比例して妻との会話すらレスになってきているが(笑)
まあそんなことはどうでもいい。

ハイライトシーンやテレビゲームは好きだが、2時間見ることを退屈に感じたり、なにも得られるものがないならば、きっと君はサッカーを愛していないのだ。 好きだと思ってるのは、実は錯覚なんだ。

今からでも遅くはない。ほかのスポーツや文化に触れてみるといい。 もっと、君にあったものに出会えるかもしれない。













水を運ぶもの

7月後半下書き


祭りが終わり、崩しかけていた体調もなんとか持ち直し、日常が戻ってきた。

結局、全64試合中、消化試合となった イングランド−コスタリカ 以外はすべて観た(ずっと録画したままだったが、この前ついに消した)

最近やっていた総集編を見て、すべてみたはずなのに結末がどうだったかすぐに思い出せない。
疲労困憊のなかで、見るという動作だけで記憶にとどめるまでいかなかったのだろう。

日本やスペインやイタリアの敗退。新しい才能(ハメロド)が輝き、ブラジルが崩壊し、ロッベンやメッシなど突出した 個 対 組織 の構図となった今大会。
歴代の中でもかなりおもしろいほうだったんじゃないか。

そして最後の ドイツ優勝 は、これからのサッカー界と指導者の立場からいえばよかったと思う。

なぜかといえば、メッシの大会 にでもなれば、育成・指導・戦略・戦術...といったわれわれのかかわる領域を、個 が超えてしまう、ということになりかねないからだ。
そうなればますます「天才」を目指し「凡人」が汗をかき、「個人芸」をみがくスクールが盛況し、DF(守備)がおろそかになってゆくかもしれないからね。

メッシやクリロナ、ネイマールに憧れるのは悪くない。同時に、等身大の自分と、世界のサッカー界を見てみよう。ごくごく一部の天才以外は、みな 「水を運ぶもの」 なんだ。


* 「水を運ぶもの」  −−−  オシムの好む言いまわし  チームのために汗をかき、守備にいそしみ、縁の下の力持ち、脇役に徹する選手。



天才にはなれない。なぜなら、彼らは生まれ持ってのものだからだ。 エジソンやアインシュタインのように、勉強の分野では「努力の天才」が生まれる可能性はある。だが、ことサッカーにおいては低学年の段階で、天才か否か、の区別がついてしまう。だからメッシは8歳か9歳でバルサと契約できたんだ(しかも家族ごと)

天才になれないからといって絶望することはない。天才の数千倍か数万倍のプロフェッショナルが存在している。目指すのはそちらでいい。
岡崎(マインツ)のように、へたくそでも自分の持ち味を知り、愚直に繰り返す才能と、走り続ける意欲がある限り、君にも道は開けている。

だから明日も、水を運ぶんだ。



**  ちなみに写真は、世界各地で  「 酒をあおるもの 」  です (笑)














サッカー学校

(3月下書き のちに書き足し)


ずいぶん昔、静岡のベテラン指導者に聞いたことがある。

選抜やトレセンという制度がなかった昔は、弱小のクラブにスーパーな選手がいてもその存在を協会に知られることなく、中学からはサッカーをやめてしまったり、別のスポーツに取り組んだり といったことがあったんだと。

そういった、地域や日本の『損失』を防ぐため、今のトレセン制度の基となるものが発足した。おかげかどうか、確かにこの国のサッカーは飛躍的に発展してきたし、W杯で躍進を期待できる日がくることなど若いころには夢にも思わなかった。

一方で今のトレセンに対するサッカー界全体の価値観には違和感を感じざるを得ない。

トレセンスタッフは、企業の面接官のように「上から目線」で、(みてやるから、いいヤツ送れ)といわんばかりの態度だし。

選手は選手で、「センター試験」や「有名校受験」のようにとらえ、合格すればバラ色の未来がひらけているかのような錯覚をし、必死に「肩書」をほしがる。
有名校や一流企業に入ったところで、ほんとうに大事なのはそこからなのに。

オシムの言葉で 「サッカー学校を卒業すれば、いい人生が送れるに違いない」 というのがある。私の大好きな言葉だ。
部活やクラブ、スクールでがんばり、サッカーの本質を学び、技術を上げ、仲間と力を合わせ成し遂げる喜びを知り、努力だけではどうにもならない現実にうちのめされ、うちひしがれてもまた立ち上がる。別にサッカーに限った話じゃないが、スポーツには人生の縮図といえる物語が存在する。その物語の主人公はもちろん選手ひとり一人であり、僕らは彼らの「仲間」でいたい。
小さな大会や公式戦に参加して勝ったり負けたりを繰り返し、喜びや挫折を味わう。そんな経験は物語の大事なクライマックスのひとつだ。

先日の清水草サッカーがチームに残してくれたものは彼らの小学校時代の思い出でもっとも印象深い出来事だったと信じたい。

それらなくしてトレセンの合格のためだけに活動する。それは、学校とはいわず、予備校のようだ。

私はサッカー学校の教師でいたい。けれども、予備校の講師になるつもりはない。

世界百名スタジアム 5

昨年12月頃下書き 


アリアンツ・アレーナ  言わずと知れた、現在世界最強のバイエルンミュンヘンの本拠地である。    *現在最強はレアルになるのかな

ちなみに、ミュンヘン1860 − 大迫が所属している、今は2部のクラブ − の本拠地でもある。    *現在大迫は1FCケルン

8年前、ドイツW杯のときに訪れた。そのときは「期間限定」で、ミュンヘンワールドカップスタジアム と呼ばれていた。

ミュンヘン中央駅からどのくらいかかったろうか。30〜40分だったかな。とにかく終着駅だった。駅名は忘れたが...チュニジア−サウジアラビア という、およそ世界の興味はそそがれなさそうなカードだったので、スタジアム周辺でチケットはゲットできるだろうという安易な発想で現地入りした。「WE NEED TICKET」 拾った段ボールにマジックで書きこみ、駅のホームの片隅に立って掲げた。もたされるのはいつも私だった。親切なドイツ人が、あまったチケを1枚正価で譲ってくれた。もう1枚を探していたら、埼玉からきた日本人が同じく正価でゆずってくれた。

駅をでるとはるか向こうに 巨大なUFOが着陸している(かのようだ) バイエルンの主催試合のときは赤く輝き、1860のときは青く染まる。
そのときはどでかい雲のように、真白く堂々と鎮座していた。

駅を出て、15分以上は歩いた。日本のスタジアムではおよそ考えられないくらい、周りにはなにもなかった。まるで砂漠の中に浮かぶ幻のように、夢の劇場(オールドトラフォードじゃないけどね)がそこにあった。おなじみの儀式、両国サポーターとの記念撮影も済ませ会場入り。主催者発表で6万数千数百人ってことだったが、そんなに大勢の人が集まった場所にいたのは初めてだった。

試合の中身は凡戦で覚えてない(笑) 席が並びの中央付近だったので、ビアやつまみの買い出しにも行けなかった(涙)

カテ1の席の割にはピッチから遠く(高く)選手たちは豆粒のように小さかった。 されど、ただ、そこにいる という満足感だけが心をうめていた。


ホテルに戻り、少し高級なテラスのレストランで夕飯。
夜9時を過ぎてもまだ夕方のような明るさで、頬をなでる風は日本の10月の夜のような心地よさだった。
この国でしか味わえないビアにワインに、極上の生ハム。それに激ウマのパスタを堪能した。

隣に座るのが、林コーチである、ということだけがただ悲劇だった(笑)


サッカーは習い事?

サッカーは習い事だろうか? そうではないという確信があるが、少し前から預かる選手の表情に(教えてください)の思いが瞳の奥に見て取れる。
低学年にはサッカー以前に身体を動かすことの喜びと大切さに触れてもらえればいい。 3〜5年時には、サッカーの面白さと難しさ、を学んでもらえればいい。
しかし6年生にもなれば、その奥深さと厳しさに気づいてもらわねば困る。 サッカーは自ら考え、決断し、実行にうつす戦いなのだ。けっして習い事ではないのだ。


私の青春時代、まだこの国でサッカーがマイナースポーツだった時代、この県でクラブチームは愛知FC(高校年代のみ)をのぞきひとつもなかった(と思う)
スクールという存在は皆無。小中学生のサッカー選手は学校の部活以外でプレイする場はなかったんだ(その部活でさえ秋冬限定)
サッカー誌は月刊でマガジンとダイジェストの二つ(キッカーもあったかな?) 図書館や本屋で関連本を探すのさえ困難だった。


やがて歳月が流れ、若者だった私は初老になり、サッカーは巨大なマネーを生み出すビジネスになった。
この名古屋だけで、クラブチームが50や60にものぼり、あちらこちらにスクールが出没し、本屋には「個人技能UP」のドリル本があふれる。
同時に、サッカーが闘いではなく、ショーやパフォーマンス満載のエンターテイメントになり、本物のディフェンダーがいなくなった。
ドイツやイタリアの代表DFでさえ、ザルのような選手が散見される昨今、しかたのないことかもしれない。
先のW杯でも、本物のDFと呼べるのは、マスチェラーノ、チアゴシルバ、ゴディン、マルケス...らわずかしか見あたらなかった。
アギーレJAPANはじめ各年代でも、基本のキができていない代表DFが名を連ねてる。
U21も17も韓国に屈し、それどころか中国や北朝鮮にすらかなわないのが現実だ。

スクールの盛況に反比例して、成果が下がってゆく。 なぜならフットボールの本質からかけ離れていってるからだ。
退屈だろうが、面白くなかろうが、サッカーの本質は守備、守備、守備。 あらゆるボールゲームの中で、 0−0 のスコアで終わるのがもっとも多いのがこの競技だろう。
守備のことは考えず、攻撃のみに専念する ...そんなのはメッシのような億にひとりの選手だけだ。 選手の9割、プレイ時間の9割は守備のことを考えなければならないのに、ボールをこねることだけ教えてくれるスクールの存在は、はたして本当に必要か?

リフティングの回数や質が向上する。できるフェイントの種類が増える。ボールスキルのUPは通う本人や家族にしてみたら「上達」のバロメーターにはなるのだろう。
それとは逆に、素人目にはわかりにくい守備能力の向上はおいてけぼりにされている。

この国と世界のサッカー界に警鐘を鳴らすため、わがイーグルスが 『ディフェンス専門スクール』 でも始めようかな。
アプローチの速さと厳しさ。ポジショニング、カバリング、コーチング能力のUP。ショルダーチャージ、スライディングタックル、クリアリングにファウルすれすれのボディコンタクト。

『ボールスキルの向上は見込めませんが、本物の闘士(ファイター)を育てます!!』  ってね。

まあ、誰も来ないわな (笑)