FC名古屋イーグルスは2006年設立。 チームのエンブレムは、Iwamoto coachが歌川広重の浮世絵『深川洲崎十万坪』にインスパイアされて、デザインしたもの。 FC Nagoya Eagles のエンブレム の両脇には名古屋市の花 百合を配置した。
2011年11月25日金曜日
リスペクト
2011年11月24日木曜日
ボジョレー・ヌーボー
さて曇り空の中、3年生9名と霞ヶ浦のサッカー場へ久々の大会参加でした。
チーム事情で中々3年生だけで活動することも少ないのですが。この学年、6月のフットサル大会では先制しながら逆転負けで優勝を逃す苦い経験をしている。今回お声掛け頂いたチームには5月に連勝記録を止められている。そんなこともあり選手も気合いが入ってましたね。
走力と気持ちの強さでイーグルスの歴史を変えつつある3年生。最後までよくやり切りました。苦しい時の頑張りが君達の財産。優勝おめでとう!
そしてヌーボー・・・今年は早々においしくいただきました。。。
2011年11月23日水曜日
リスペクト
ーRespectーその1
ちょっといい話をしましょう。
今日訪れた学校には、素晴らしいものがいくつかありました。
サクラの花が咲いていたのです。しかも一本だけじゃなく、二本、三本と。サクラはなぜ花を咲かせるのだろう。それは花を咲かせ、実をつけ、種を保存していくためです。サクラは人を喜ばせるために花を咲かせるのではありません。
学校の花壇の枯れた花を抜き、手入れをしている人がいました。
「この木、サクラですよね。」
「ええ、サクラです。ここのサクラは年に二回咲くのですよ。」
「すごいですね、びっくりしました。」「ここには、以前腐葉土をためるところありましてね、それで二度咲くようになったのです。サクラの根は土の隙間に、ものすごく細かく入り込んでいて、根から土を落とそうとしても、とても取れるものではありません。それほどびっしり生えている根から栄養を吸収しているのです。だから年二度咲くのですね。」
「そうなんですね、素晴らしいですね。」
続く
2011年11月21日月曜日
落合野球とカルチョ
そんな私でも今年の中日野球はホントにつまらなかった。投手戦(貧打戦?)の醍醐味をわからない、ど素人の私だからなのかもしれないが、それでも大半のファンは私と大差ないだろう。
サッカーでも野球でも、長いリーグ戦を戦うには「守備」のベースがしっかりしていないと勝ち抜けない。だから現在の、選手獲得・育成のシステムの中で、常勝軍団をつくるには、これしかない という概念で選手を発掘し、鍛え、投手中心のチームをつくった。それはV9讀賣の川上よりも、はるかに質の高い仕事だろう。
ただ、勝負師としての能力は比類ないが、興業としての側面から見れば、エンターテイメント性は極端に欠ける人だった。
話をサッカーに移します。
今でこそ当たり前となった 勝利勝点3 という制度は、実はサッカーの歴史の中では浅いんだ。たしか、2〜30年前にイングランドリーグが始めたと記憶してる。「プレミア」という呼称が生まれるずっと前のことだ。その当時、勝利勝ち点は、国内リーグもW杯も「2」だった。引き分け・負けは1と0で今と同じ。
これだと例えば、
2−1勝ち と 1−3負け という2試合をしたチームより、
2試合続けて 0−0 ドロー のチームのほうが上 になる。
今なら逆なわけで、当時は より守備的なチームのほうが有利 ということになっていた。
そして攻撃的でスペクタクルなゲームを増やし、人気を呼ぶために、やがて世界中で現行の「勝ち3」に行き着いた。
百年をゆうに超えるサッカーの歴史は、ルールや制度が目まぐるしく変遷してきた歴史でもある。
今日、スペインやオランダの攻撃的フットボールが称賛され、イタリアの美学「1−0勝利」は結局、世界には理解されなかった。クライフやグアルディオラが崇められ、カペッロは破壊者と罵られる(笑)
かつてカテナチオと呼ばれたカルチョ(イタリアサッカー)の神髄は「相手に点をやらなければ負けない」という落合野球に共通するものだ。
そして、大多数の民衆にはウケなかった、のも同じだ。
話は野球に戻る。
落合ほど野球を知りつくし、シンプルに勝利に近づこうとする職人をほかに知らない。その彼が選択し、進んだ道だから、これ以上のやり方はないかもしれない。彼の方針がウケず、それでも彼が「勝利」以外に興味を示さない以上、もはや制度が変わるしかない。巨人戦の視聴率さえ低迷し、観客動員数は低下を続ける。球界もそろそろ本気で改革に取り組むときだ。ナベツネ絡みの内紛してる場合じゃない(笑)サッカーの勝ち点のように、攻撃的な野球で勝利を目指さねば優勝に遠い。そんな制度が整備されたとき、落合野球はどう変わるんだろう。いつかそれが見たい。
2011年11月16日水曜日
ザックの選択 ‥&
皮肉でなく、心底そう思ってる。
なにがって、まずひとつめは 負けた ことがよかった。勝負事だから勝つにこしたことはないのだろうが、無敗のまま最終予選や本大会に突入するよりも、一度「敗北」を経験した者のほうが「たくましさ」を身にまとう気がするんだ。
勝てば反省や修正も甘くなるし、打ちのめされたほうが本気で取り組めていいよ。
次に、清武のような若き才能に完全アウェーのゲームを先発で体感させた、ってのがよかった。彼の持ち味が出せたとは言い難いが、将来的には確実に必要な戦力だし、経験を積ませたのは絶対プラスになる。一方で栗原ら「使えない」選手を見極められたのも結果オーライだろう。彼らには気の毒だが、現時点では世界レベルで戦えないのが判明した。
遠藤や川島らの「温存」に対する批判はあるかもしれない。
が、「監督業」の端くれをかじった私にも、その意味が少しはわかる。
話しはそれるが、多くのチームにはだいたい レギュラー と ベンチ という境界線がある。一発勝負のトーナメントになればその線はさらに太くなり、ギリギリのゲームになればなおさら境目の溝は深くなる。だから、今回の「消化試合」の名目ならば、線は消され溝はあいまいになり、出番の少ない選手にチャンスは与えられる。
これを 温情や経験値の積み上げ ととらえる向きがあるが、実はまったく違うんだ。
かつて5年生の指揮をとっていたとき、単学年で30名を超える選手が集い、シビアにもABを区分けし、さらにそれを頻繁に入れ替えた。安泰なのは10人にも満たず、それ以外はつねに競争にさらされ、昇格の期待と降格の恐怖に怯える日々だった。
だからかどうかはわからない。ただ、選手は伸びてチームは強くなった。
そのときは、私の指導の賜物だ と思ってたのだが錯覚だった(笑)
同じメニューを施しても、別の学年やチームでは進歩の速度がまるで違った。
そうか、そういうことなんだ。
効率的なトレーニングメニューや劇的なコーチング ってのがホントにあるのか知らないが、それよりも「競争原理」の導入のほうがずっと効果があるんだろう。そして、下からの「突き上げ」があるからこそ、レギュラーも停滞していられないのだ。
ザックの選択は温存や温情などではない。バックアップメンバーの底上げなくして、代表のレベルアップはない と思ってるのだろう。
レベルは違い過ぎるけど、我がチームもそうありたい。今週末に、5年生が二人体験に来てくれるという。イレブンに満たなかった学年も、ようやく数が揃った。下の学年も交え、競争にさらされればよい。そこに真の成長が隠されている。ストレスを乗り越え、ポジションをつかめ。それこそが「選ばれし者」すなわち 選手 である。