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2016年4月25日月曜日

UKリーグ開幕

新年度、始動から1か月が経とうとしてます。
Cチームの活動といえば、UKリーグ。

今年もイーグルスCチームは参加。
勝敗だけではなく、様々な経験を積んでいって欲しいです。

そんなUKリーグですが、なんとHPが出来ました。

http://www.uk-league.net/

リーグ予定や結果など見れます・・・

結果がバレちゃいますね(笑)

個人的にはこのリーグは大切な場にしたいです。
Cチームの子には初めての経験が沢山です。

リーグ戦という響き。審判服を着たレフリー。
これだけでも子供には大きな事と思います。
リーグ戦が有るから練習頑張ろう。とか
風邪ひかないようにしようとか。
夜更かししないとか。
ちょっとした変化が出るハズですよね。

お父さん、お母さんのビデオの準備とかを見ていたり
頑張るんだぞとか会話、それが子供達には
良い刺激になる筈です。

勝敗以上に得れるものがきっと有ります。

早速、月末にはリーグ初戦!
さ、UKリーグのHP見ながら、1年間楽しみましょう!!








2016年4月10日日曜日

葉桜の季節に君を想うということ


先日、高校生になったばかりの連中とその親御さんたちとの同窓会があった。
五年生のときから2年間みたやつらだったが、小学生のときの面影は残すものの、みなたくましく成長しほとんどに身長は追い越されていた。

当時の記憶をたどるべく過去のブログをひもといてなつかしんだ。
そうだった。こいつらは、創部初のU12大会優勝をつかみとった世代だった。 そして同時に、小学生の11人制サッカーが終わりを告げた年でもあったんだ。
いまでは当たり前となった8人制だが、本音の部分では(サッカーではない)と思ってる。 いや、11人制こそがホントのサッカーだと思うんだ。
この世代のやつらがまさにそうだった。現中二のような、ナシ ョトレ、 市トレはおらず、高次元でバランスのとれた飛車角と呼べるのは、10番だけだった。
それ以外はみな、一芸に秀でるのみの 金銀香車、桂馬にと金、ばかりだったな。だが、それらの唯一の武器をチームとして結集させ、強者に挑んで打ち破った(ときに返り討ちにあった)戦いの数々は、スーパーエースの独壇場で勝ったおととしのゲームより、はるかに充実感があった。
あれもこれもいろんなことはできないけれど、自分のできることでチームに貢献する、という社会にでてもっとも必要なことを彼らはこの時期に学んだ気がするんだ。
だがそれも11人制だから可能だった戦略だ。 8人制ではひとり一人に求められる仕事・能力が多く、「一芸」の選手が活きにくい状況になってきている。
ゲー ムの中で 1対1 や、ゴール前の攻防 をたくさんつくり、個の強さを育ててゆく。JFAの指針で代表は強くなるかもしれんが、一方で、一芸すら持たぬものの機会は奪われてゆく。 はたしてどちらがこの国のフットボールの未来によいかわからぬが、こたえは数十年後にでるだろう。

さて、年度がかわり 45年生となったBチームの面々。飛車角はおらず、一芸に秀でるものもわずか。 はやく自分の武器をつくり、生きる道を探せ。 一芸とはなにも、生まれ持ってのものばかりじゃないんだよ。

桜が散り、わけもなくさびしくなるこの季節に、巣立っていった子どもたちに想いをはせ、今夜もグラスをかたむける。

もちろん、置き去りにしたCチームの面々のことにも想いをはせなが ら。

なでしこの 花がちる

(2月下書き)


震災の年から咲き続けたなでしこの花が散った。

SAWAという太い太い幹を失い、接ぎ木を重ねて臨んだアジアの予選で立ちはだかったのは、世界有数のライバルたちだった。
佐々木監督とその信者たちが模索し構築した「女性版バルサッカー」は、5年の歳月を経て世界中で模倣され、研究されつくした。
いつの世も、どんな分野でもそうであるように、つくりあげること よりも、破壊することのほうがはるかに楽な作業である。
その意味において、ノリさんとなでしこが成し遂げた偉業は称賛こそされ、批判されることなどあってはならない。
ワールドカップとオリンピックという、女子においてはほとんどその価値に大差のないイベントで、3大会連続でファイナリストになった功績はこの先メジャーなチームスポーツではお目にかかれないだろう。(野球やシンクロのようなマイナー競技でない限り)
なんの構築もしたことのないゲスなメディアは、重箱の隅をつつくようにゴシップを探して部数を伸ばそうとする。
澤なきあと、国の女子サッカーの未来さえ背負った宮間の脚の重さに心が痛んだ。

運不運を語るのは勝負師にとってどうかと思うが、'11ドイツでの準決・決勝では、神がかり的な幸運を感じた。
ロンドン五輪や昨年のW杯でも、僅差のゲーム(仏戦、豪戦やイングランド戦)ではことごとくなでしこに運が転がりこんできた。
そしてそれらの反動のように、この予選では運に見放され、不運に見舞われた。それはもしかしたら澤という不世出の才能に、ついてまわってきたものなのかもしれない。

新しい時代を迎える。いやすでに新しい時代になっている。
駆け出しの指導者だったころ、自チームはもちろん、どこの対戦相手にも 女子選手などひとりもいなかった。それがどうだろう。 大会にいったり、有松小を見渡して、女の子を見かけないときなどない。
なでしこたちがひたむきに走り、ボールをつなぎ、勝利をつなぎ、ときにうちひしがれた日々は、この国を少しずつ変えていったのだ。

なでしこの花は散り、されどまたいつか咲くだろう。