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2011年3月30日水曜日

旅立ち

卒団式も終わりこれからは部活でサッカーを続ける者、クラブチームに行く者とそれぞれの進路に進む。なかでも卒団生が多い有○中学は、有○イーグルスと進化し好成績と聞く。そして昨日のナイター練習には成長した1期生の面々が参加していた。彼らも4月より高校生。サッカーを続けていれば何処でまた再会するであろう。

卒団生…優秀な君達なら努力次第で何処にでも行けるだろうが、何処の有名なクラブ・高校に行ったかではなく「そこで何をしたか」を大切にしてほしい。

君達の更なる活躍を祈念しています。

2011年3月21日月曜日

UK

先日UKリーグの総会がありました。今期も無事終了です。保護者様には送迎ならびに応援と、ご協力ありがとうございました。

来期も参戦させて頂きますが…なんとカメの部が人数不足で参加出来ません。大高緑地公園周辺のチビチビーズ達(新1・2年生)大大募集中です!
人数がそろい次第参戦致します。

2011年3月18日金曜日

被災地に寄せて

昭和42年生まれの私は、当然戦争は知らない。知ってる限りの大惨事は16年前の阪神淡路大震災か。それと比べ、広範な地域も被災者の数も桁違いだ。これだけメディアがこぞって報道し、識者のコメントは多岐に渡る。いまさら、私ごときがかける言葉などなにもない。

選手が疲れてるときにかける『頑張れ!』のボキャブラリが、今被災地にかけるにふさわしいとは到底思えない。

被災の全貌はいまだ見えない。一体どれだけの人が亡くなったのだろう。どれだけの若者が消えたのだろう。どれだけのサッカー少年の夢がついえたのだろう。昔、福島のチームと試合した。宮城の少年たちは同宿になったことがある。茨城の指導者と飲んだこともあったな。あなたがたは今どうしていますか?

たまたま生きている‥いや、生かされている私たち。できることはなんだろう?募金?それはいいね。祈り‥それも素晴らしい。でもまあとにかく、一生懸命生きて、一生懸命サッカーをプレーして、一生懸命指導して、死んだ仲間の分まで真摯に取り組んで、いつか天国で再会したときに「手抜きせんかったな。まあ許したるわ」って東北弁で言われるようにね。

小学校を卒業したての彼らにはずいぶんな重荷だがしかたない。中学生になる前のこの時期に「サッカーができることの幸せ」を実感できたのは不謹慎だが幸運だ。

大会で全敗する屈辱も、涙が止まらない完敗も、悲劇的な逆転負けも、(俺のせいで負けた)という落胆もすべて、実は、「サッカーができる」ことの幸せの一部だったと気づくことができたのだから。

あえて、それでも伝えたい。

被災地のみなさん、生きていけば必ずいいことがありますよ。
いつか私の選手たちが、私の選手のそのまた教え子たちが、世界の舞台でこの国に勇気と希望をもたらす日がきっと来ますから。それまで生きていてください。必ず復活できますから。

なぜなら

あなたも私も日本人だ。世界に誇れる日本人のひとりだ。

2011年3月13日日曜日

原子力発電所

もと運転、保守、設計していた人間として
非常に原子力発電所の状況を気にしています。
手に取るように現場の状況がわかります。
現場で働いているかた、現地のかたに
何事もないことを心から祈ります。

テレビ朝日の東工大の先生の話がわかりやすく
いろんな人へのいろんな配慮をした説明がされています。

3月12日はたいへん失礼しました。横浜の免震ビルに
いても大きな揺れを感じました。揺れ方と揺れの時間の長さから
してとんでもないことが起こると容易に想像でき、ぞっとしました。
近くの油タンクは、スロッシング(液面がすごく波打ち、長周期
地震でよくおこります)で火災が発生していました。
鉄道はすべて泊まり3月11日に帰ってくることができませんでした。
ホテルもなんとか予約がとれましたが、インターネットがおかしく
予約無効となり、泊まるところがない状況でした。
(多くのひとが町にあふれていました。)
結局夜中1時頃に予約をしていたがホテルにたどりつかなかった
人が多くホテル側がその部屋を提供してくれました。東京に出張
していた同僚は、新宿から3時間かけて東京駅まで歩いたそうです。
臨時の新幹線で浜松までは帰ってこれたそうです。
東海、東南海、南海地震を考え、イーグルスのみなさん、
可能な準備はしたいところです。地震がこないことを祈りますが。

東日本大震災

多くの人が絶望の中にいる。映像を見、被災された方を思うと胸が痛みます。        サッカー界からも日本に向けて力強いエールが続々と配信されている。何も出来ない無力さと申し訳なさを感じているが、必ず役に立てることがあるはず。今の自分に出来る事を考え実行していこう。                                            一日も早い復興を!願うばかりです。。。

2011年3月7日月曜日

ブランドスクール

ACミランの日本スクールが小牧にオープンするらしい。それで思い出した。もう10年近くも昔かな。ミランだかバルサだか忘れたが、ブランドクラブが日本を縦断して各地で短期講座を開催してくれた。自チームの練習・試合を休み、そっちに参加する、って選手がいた。ご丁寧にご家族は、配布された数日間の練習メニューや個人の「採点表」まで見せてくれた。たしかに面白いモノ(MENU)もあったし、参考にさせてもらった。採点は私のそれよりずいぶん高評価だった。聞けば1週間弱の合宿に十数万円!?本音はさておき、私でも太鼓判押すね。「超有望な選手ですね。Jを目指すために、これからもご参加ください」

‥アホか(笑)

ホントにキツイMENUで追い込まずに、ウケ狙いの「面白い」練習で選手の実力がすべて判明するなら苦労はない。

練習が「防具と竹刀」での『試し合い』なら
試合は文字通りじゃなく、真剣を使用してのコロ『死合い』である(ちと過激やね)

フットボールの実力とは別の次元で、ヒデや本田、長友らの姿勢にはある種の「覚悟」が感じられる。
一方、槙野や家長、かつての城や平山には感じられない。
宮市はこれからだろう。フットボールの実力に疑いはないが、それを発揮するベース(メンタル、食生活、遊びの誘惑への抵抗)が出来上がってないと潰れるのは時間の問題だ。

えーと‥何を言おうとしてたんだっけ?‥そう!ミランスクールに夢を追うのはよしなさい(笑)

ホントに優秀なコーチなら、本国を離れアジアの東の果てまで来ない。F.バレシが煽ったところで、日本人よりカルチョで優秀なイタリアーノでさえ、スクールからトップデビューするのは年にひとりもいない。
(地元のヘボクラブじゃ花咲かないけど、優秀なビッグクラブならヨーロッパへの近道じゃないか!?)
それはまったくの幻想です(笑)

J開幕

チャンピオンのグランパス。昨年はリーグで2番目にシュートを浴びたそうです。それなのに優勝。楢崎選手なくして優勝は出来なかっただろう。そして開幕戦。内容はともかく最後の最後にPK。残りの1秒まで諦めないこと。最後1秒まで諦めない。そうなると相手が恐れる。みんな見たかな?これが勝者のメンタリティーではないか。まだまだ始まったばかりだ。。。

2011年3月1日火曜日

基本と、その他

中学校時代、英語はだいたい 5 だった。悪くても 4 を下回ったことはなかったなあ。高校のときは 2 か 1 だった(笑)3 を取ったことはなかった(絶対に)なぜかというと、実戦で役立たない「グラマー英語」に幻滅したからさ(完全に言い訳・笑)

ハタチを過ぎてパスポートを取って、英語圏にも幾度か行ったけど、頼りになったのは 単語 であって 文法 ではなかった。
接続語が in だか on だか with だか知らんが、現場じゃそんなことどうでもいいんだよ(笑)かつて通った多国籍パブでは、私の単語英語も彼女らの滅裂な日本語もちゃんと通じてたからね。

話がそれたが、サッカーにも通じる部分がある。軸足の向き や インサイドの正確なキック ていう基本もたしかに大事だけど、一番大切なのは敵ゴールや味方の欲しいところに正確にボールを蹴る っていう結果だからね!

だからといって、基本をおろそかにしていい っていうんじゃない。自分のオリジナリティが常識や理屈を超えて、現場で通用するならなにも問題ないよ!ってことさ(誰も知らないと思うけど、ガリンシャのドリブルのようにね)どうぞ好きにやっておくれ。

「これはウチの子の個性なんです」
そんなたわ言をぬかしてた〇△親がいたが、結果ありきの個性だろ。
結果(正確な止める・蹴る)も出せないヤツらに個性を語る資格はない。そんときは、気の遠くなるほど「基本ドリル」を繰り返しやらすから、覚悟しときな 新45年生(笑)

by SHU1