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2014年2月23日日曜日

W杯展望 2

さてギリシャについて。イタリアやドイツまでもが攻撃的なサッカーを志向し、ずいぶんとDFが甘くなった現在。過去の遺物のように、守りをしっかり固めてカウンター を徹底している。日本の成長と躍進のほぼ対極にあるがごとき姿勢には、あきれるを通り越して一種のすがすがしささえ覚える。
「われわれギリシャ人には、スペインやオランダやブラジルのようなマネはできない。だからこそ、自分たちにできることを徹底的にやるんだ」
そう宣言しているようで気持ちいい。国や地域の垣根がなくなり、世界中おんなじようなフットボールが散見される昨今、こんな『化石』が生き残ってたっていい。
しかし、けっして侮れない。楽勝だ、なんて伝えているメディアもいるが、とんでもない。欧州予選では、ぬるい組だったとはいえ、1試合の失点は 0.5以下だ。仮に日本が同じグループで戦ったとしたら、その3倍ではきかないはずだ。こじあけるのは容易ではない。
 
そして攻撃について。話はそれるが、サッカーを30年以上見続けてきて、理解できないことがひとつある(ひとつではないが)。どれだけパス回しが上手いチームでも、残り10分、5分を切り、どうしても 1点 がほしいとき、高さのある選手を敵ゴールマウスに張り付かせ、ロングボールを放り込む攻撃に徹することがある。いわゆる『パワープレイ』というやつだ。これがわからない。この方法が最善だ というのなら、なぜ最初からやらないのだろう と思う。見栄えが悪いからか?お客が見に来なくなるからかな。シーズン通してっていうわけじゃなし、W杯の1試合のみなら許してもらえるだろう。私がギリシャの監督なら、日本戦のゲームプランはただひとつ。 「9 0分間、パワープレイに徹しなさい」だ。今回の、闘莉王なきDF陣なら、必ずこれで破壊できる。なぜって...いかんいかん。ギリシャ人に見られて、マネされたら、私が非国民扱いされるからな(笑)
 

ドリブルクラブ

かつて王国と呼ばれ今はずいぶんと落ちぶれてしまった某隣県には、月に一度出張している。
昼間に時間があると、サッカースクールをやっている小中学校や人工芝のグランドで、練習風景を盗み見たりしている。
コーンやマーカーを並べ、低学年とおぼしき子どもたちが巧みにボールを操っている。うちの選手たちと同レベルの子もいれば、(とうていかなわないな)というハイスキルの子もいる。
たまたま近くの掲示板に、そのスクールの 選手募集 のチラシが貼ってあった。
『小学生にパスを教えるチームから、メッシやマラドーナは生まれない!』
私のサッカー観を否定するかのような刺激的な一文が躍る(笑)
まず、おかしいと思うのは、メッシやマラドーナがドリブルばっかりしていると思わせるような書き方だ。
私の青春時代のアイドル、神童・マラドーナは、メキシコ大会(86年)イングランド戦(ちなみにBのHコーチは生観戦している数名の日本人のひとりです笑)の 5人抜き があまりに有名なのでドリブラーのイメージが強いだろうが、ドリブルもすごかった というだけで、パスセンスも抜群だった。その大会で 世界一 を決めた、ファイナル西ドイツ戦のブルチャガの決勝ゴールをアシストしたラストパスの判断は、ドリブルに負けず劣らずすごいんだ。
そして現代の神の子メッシ。バルサやアルゼンチン代表のゲームをみたらいい。彼のプレイの何%がドリブルで、何%がワンタッチのパスなのか!ゲームでなく、ハイライトシーンばかりをみていると錯覚するが、むしろパスなくしては、メッシやマラドーナは語れないんだ。
ひと昔前(ふた昔?)の日本には、ドリブル禁止 のようなチームがたしかにあった。ボールを大きくけってタテに走る。いわゆる キックアンドラッシュ という戦法だ。(この前の蒲原でウチがそう思われたんじゃないか笑)そんなクラブに ドリブルの天才の卵(日本人にメッシクラスがいるかわからんから、乾くらいにしておこう) が入ってしまったら、それは不幸だ。才能は埋没し世にでることはない。では、中澤や遠藤、岡崎らが『ドリブルクラブ』で幼少時を過ごしたら、はたして今があったろうか?
屈強な体格を生かした対人の強さと空中戦。広い視野を持ち、最適な判断のプレイを素早く行う能力。敵陣のわずかな隙を瞬間について走りこむ嗅覚。いずれも、ドリブルクラブでは育たないと思うのは私だけかな。
ドリブルを否定はしない。それどころか絶対に必要なスキルだと認めている。その上で、ショートパスやロングフィード、ヘディングやフリーランニング等の必要性にも気づいてほしい。少年はいろんな可能性を秘めている。ドリブルの得意なものはそれで生きていけばいい。けれどドリブルのセンスがなくてもゲームやチームの役に立つことはできる。そこに気づかなければ、王国にふたたび陽が昇ることはない。

まことに遅ればせながら あけおめ



( 1月下書き )


遅ればせながら、本年もどうぞよろしくお願いいたします。

サッカーづくしの一年(40年?)が過ぎ、新しい年を迎えました。
たまには奥さん孝行でもするか ってことで、三が日は東京へ出かけた。けれどわたしは天皇杯決勝に、高校サッカーと単独行動に終始したので、孝行になったかどうか不明であるが。
さて、2年ぶりの国立。幾度目かの元日決戦生観戦。今年取り壊されるこの聖地だからこそ、わたしにとっては最後になるだろう。昔は晴れ着姿のお姉さまたちがぎょうさんいたもんだが、見渡す限りひとりもいない。代わりに青(マリノス)と紫(広島)のシャツを着た軍団がずいぶん幅を利かせている。カードとしては最高だ。Jリー グ最終節のことがあるから、因縁の対決 ってことになった。(今回は俊輔に勝たせてやりたい)って思ってたから、結果としても最高だったが、試合内容には正直がっかりだ。J連覇の満足感で、腹の中が満たされていたのか、サンフレのスパイクが重い。2点のビハインドになってからでも、攻めに人数をかけない。一方で横浜には(今度 こそ)の悲痛なまでの決意が身体全体からにじみ出ている。とくに中沢の寿人 に対する マークは激烈だ。ときに守備バランスを崩してでも寿人に喰らいつく執念に、中沢のこの一戦にかける意気込みと魂をみた。

翌日、田町近くの交差点で、箱根駅伝のランナーたちに旗をふり、そのまま千葉まで行って選手権の観戦だ。初めての フクダ電子アリーナ は、トラックのない専用球技場で見やすいが、スタジアムのデザインや外観、全体のセンスなどはややみすぼらしい。J1よりもJ2がお似合いのハコだ。
第一試合は 市立舟橋−中津東  相変わらず市船のサッカーはつまらない。守備が厳しく、堅いのはいつものとおりだが、今年は攻めのタレントも不在だ。試合の内容も、そしてスタンド最後尾の吹きさらしも手伝い、寒さで凍りつきそうな2時間を耐えた。
メインの2試合目、 京都橘−藤枝東 一回戦屈指の好カード。グランに来る 小屋松のスピード、藤枝のワンタッチのパス回しに11番のサイドアタック。見どころ豊富でおもしろいゲームだったが、残念ながら藤枝の決定力がなさ過ぎた。京都よりずっと魅力的なサッカーしてたのにな。

翌日、新幹線がストップし、東京駅に数時間足止め。妻には『あんたと行くとろくなことがない(怒)』と八つ当たりされ、(おれのせいじゃないし)と思ったことは、もちろん口にはしない(笑)
正月早々ついてない。今年のチーム事情を象徴してないといいがな。なんにしても今年もよろしくお願いします

(少し遅すぎたよな)














2014年2月9日日曜日

磐田遠征



最初のPK戦
キーパーの叫び声に勝ちたい気持ちが伝わった。
二つ目のPK戦
勇気を持ってチャレンジしたキーパーは成長する。
一本目のPKで外した選手は二本目で取り返した。
失敗して進むことが大切。失敗を怖がっていたら失敗も無いけど成功も無い。