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2012年12月16日日曜日

蒲原カップ

昨日の冷たい雨とうって変わり、今日は富士山が素晴らしくきれいに見えました。
一位トーナメント7位。3引き分け2敗。全体で24チーム中の7位でした。神奈川のバティー、草サッカーでAチームが戦った由比。藤枝の青島東。千葉のリベレオなどと戦い成果は十分ありました。
しかし今回の遠征は、サッカーをする選手としては、生活面でたくさんの課題が見つかりました。選手には「改善」という言葉で説明しましたが。それを自分のこととして自覚できたでしょうか。
これからも、サッカー選手としての競技力や心の成長をサポートしていきます。

2012年11月12日月曜日

第22回わんぱくサッカー4年生大会

最高の舞台の中、最高の結果を出すことは出来なかった。

悔しい思いをしましたが最後は笑顔で終えることが出来、個達の成長を感じることが出来る一日となりました。

まだまだこれからです。この経験を次に繋げていきたいと思います。

この素晴らしい大会に参加することが出来、大感謝です。最後の「ありがとうございました!!」ドームに響く個達の大声はアフェラルセ四日市の皆様へ。気持ちよかったぁ〜…。

2012年11月10日土曜日

秋の苦悩

運動能力は「ほめて伸ばす」ことが実証されたそうだ。
能力自体が伸びるかどうかは定かではないが、経験上「ほめる」ことにより、その後の動きががぜんよくなったり(つまりハリキるわけだね)逆に、叱り飛ばすことによってパフォーマンスが著しく落ちる例もみてきているから、今さら「へぇ〜」なんて思わない。
昔のこんなやりとりを思い出した。

「おっしゃることはごもっともですが、ウチの子はほめて伸びるタイプなので...」(母)

「あのねー、サッカーのサの字も知らんア○に、イロハ伝えたいんだ!基本のキができていないのに、目つぶれないだろ。長所を伸ばせば短所は消える、というのとは次元の違う話ですよ」(某コーチ)

感情に支配されると、議論はできない。去っていったあの親子は、今はどこでなにをしているのだろう?

今なら、こんな風に語れる。

「いいですか、Jリーガーになることは、東大に入るよりずっと難しいのです。難関の入試を突破するためには、得意な国語や社会だけでなく、苦手な算数や理科も頑張らなくてはなりません。一流選手に求められているものは、攻撃(守備)だけではありません。とくに、日本選手のウリは守備に勤勉に走ることや、プランに忠実に規律正しく動くこと、ですから。本を読むことは大好きだが、九九はできません、という受験生は通用しません。サッカーも同じです。好きなこと、得意なこと、だけじゃなく、覚えねばならないこと、やらなければならないプレイが確実に存在しているのです。それができないうちは、厳しく言い続けますよ」

言ったところで、伝わらんだろな。ハナから平行線なんだから(笑)

今のチームの子どもたちにも同じことを思うんだ。先日も、3つのグループに分けて、2グループの対戦中に余った1グループに自主練をやらせた。
苦手な、逆足のキック が、低学年以下のレベルのヤツまでいるのに、やってることは 利き足のキック ばかり。
いったい彼らはいつ上達するつもりなんだろう?体格やパワーは歳月とともに確実にアップするが、スキルが自然にあがるわけでは決してないのに。
それとも、退屈でストレスのたまる反復練習を、いかに飽きずにやらせるかが指導者の腕なんだろうか。だとすれば今までは選手の向上心に助けられてきたってことか。

時代が変わったのか、クラブが変わったからなのか知らないが、指示待ち
の子どもたちがあたりまえになり、言わなければなにも変わらない彼らとともに今に生きる以上、私も変わらなければならない。

秋が深まり、夜は長くなった。杯をかさねても答えは見つからず、苦悩は深まるばかり。きっと明日も下痢だろう。








ニッポンのサッカー

代表チームを30年見続けてきて、この数年ではっきり変わったと感じる。
2年前の南アで(あれ?)と思った。去年の女子W杯で(おお!)と思い、ロンドン五輪で、なでしこや男子U23の快進撃を見るにつけ思う。日本らしいパスワークや人の連動ではなく、それは、守備の「したたかさ」だ。
'86メヒコ(W杯)アジア予選の北朝鮮戦や、アトランタ五輪組のアジア予選と「マイアミの奇跡」のように、押し込まれながら逃げ切った戦いもたしかにあった。だがそれは、あくまでも「がむしゃらにがんばった末の結果」であって、「したたかに逃げ切った」とは一線を画す。

*(先日のフランス戦初勝利は少し意味が違います。このブログは8月ころに書きためてました。)

相撲や甲子園に代表されるように、「雌雄を決する」ことにカタルシスを覚える国民性にとって、「引き分け」の価値観を理解することは難しい。強いものが勝ち、弱いものは敗れる、という至極当然な結末を当たり前に受け止めていた時代が過ぎ去ろうとしている。

南米の小国・ウルグアイが、世界の大国・ブラジルと競う。W杯予選で。南米選手権で。五輪や各年代の世界大会で。人口比は(よく知らないけど)たぶん数十分の1だ。
ヨーロッパではデンマークやウェールズが、ドイツやイタリアにかみつく。
個々の戦力を数値化すればチーム総力としての数字はかなうはずがない。けれど、それぞれの国民の根底のアイデンティティーには「だからどうした?」という、開き直りに近いメンタリティが宿る。

サッカーは球技のなかでは、極端にロースコアな競技だ。だから、少々の戦力差なんて結果に直結するとは限らない。これが、バスケやラグビーとなると、ドロー や 番狂わせ の起こる確率はずっと低くなる。フットボールが世界中で愛される理由はこれなんじゃないか。そしてこれこそが、ニッポンにたりなかった要素だ。

W杯や五輪で列強と当たると、ハナから(勝てないだろう)とあきらめる。(勝てないなら、引き分けに持ち込むか)というメンタリティに決定的に欠けている。いや、欠けていた。

それがどうだろう。ドイツの伝道師に導かれ、オランダやフランスの教師の教えを乞い、ブラジルのスターが率いて散って、バルカンのプロフェッサーに見直され、ニッポンの日本化に辿りつき、ようやく自分たちの道を見つけ、歩み始めた。
ドイツやイタリアが、バルサやスペインに感化され、自分たちのアイデンティティーを失った頃にやっと「守る文化」を習得したのは皮肉だが。

ブラジルへの道は視界が開けた。世界のビッグクラブでプレイする選手も増え、戦力的にも間違いなく史上最強の ニッポン代表 が、それまで足りなかったいろんな部分を埋めたとき、王国の本大会で待っている結末はいかなるものか。今から本当に楽しみだ。

やっぱり行こうかな...ブラジル。異常に遠いけど(汗)その次のロシア、カタールなんてさらに旅の楽しみはなさそうだし。2026年のヨーロッパ(W杯)なんて、自分やこの国の経済状況がどうなってるかさっぱりわからないし。最後のワールドカップと思って、へそくりはたくか(笑)

*添付の写真は今夏のEUROのスタジアムほかです。







2012年10月20日土曜日

ゲームは選手のもの

タイトルは 栄枯盛衰 やら 栄光からの凋落 だとかにしようと思ったがやめた。
 
「勝ちに、不思議の勝ちあり。負けに、不思議の負けなし」 by 野村語録
 
私流に言い換えれば、「フットボールに、偶然の勝ちはあれど、偶然の負けはない」
 
つまり、幸運や相手のミスが積み重なり、力の劣るチームが偶然に勝てることは
起こりうる競技だが、それにしても結局は、力量に勝るチームがスキを見せたり、
やるべきこと を怠った結果、相手に勝利を献上する、という当然の結末なのである。
だからフットボールにおける敗北は、すべて必然なのである。
 
2か月前のあの日。優勝監督スピーチで(笑) 「過去のビッグタイトル(県制覇や全国ベスト○)
よりも充実感 がある」と語った。「この戦力でよく勝てたな」と。偽らざる本音だが、
Aチームのみなさんは、今やっとその言葉の意味を理解しつつあるのかな。
 
我々はまだまだ足りないものが多い。チャンピオンの肩書を背負って、横綱相撲をとれる立場じゃない。
挑戦者として、立ち向かっていかなければならない弱者である。
そこを勘違いすれば、永遠に勝者にはなれない。
極端に力量の劣る相手からのみ、価値なき勝利を得て、満足する愚か者に過ぎない。
 
夏までは、ずいぶんベンチから声をかけた。ストレッチの指示。モチベーションのアゲ。気合注入から
叱咤激励。ときにカミナリを落とし、動かした。
それらが少なからず、 チームのプラスになっていたことはたしかだろう。
 
秋からは、喉元まで出かかるコーチングを飲み込んで君たちにまかせている。
なぜなら、ゲームは選手のもの だからだ。
 
監督・コーチの言うまま動いて成功しても、それを自分のものにできなければ意味なんかない。
君らがいつか大観衆の前でプレイする日がくるか知らないが、そのとき頼りになるのはベンチじゃなく、
自分の判断と仲間の声なんだ。遠くベンチからの声などかき消され届かない。野球のように、その都度
サインはでない。フットボールは自分でするものです。
 
君たちのサッカー人生は、僕たち指導者がつくるものじゃなく、君たちが見つけ、歩むも のです。
このまま愚か者で終わるもよし。高みを目指し、自ら登るもよし。
僕が決めることじゃない。君たちが決めることです。
 
 
 
 

2012年10月8日月曜日

バーモントカップ


バーモントカップ第22回全日本少年フットサル大会愛知県大会予選 突破‼
みんなおめでとう。
素晴らしいチームワークとパフォーマンスでした\(^o^)/

2012年8月27日月曜日

八月の 勝利の唄を 忘れない

美しい緑の芝に、12の個性が躍る。

奈良からはじまり、清水、磐田と続いた夏のサッカーの旅の終着駅が近づいてきた。
わずか1点をめぐる攻防。死に物狂いで奪いにくる相手を、体を張ってはねかえす。
やがて灼熱のピッチに響く「優勝」を告げるホイッスル。
ゴール地点に待っていたのは、みたこともない歓びと、はじける笑顔と、母親の涙。
クラブ史上初の「U12大会優勝」をもたらしたのは、足りないものの多い、凸凹な子どもたちだった。
S級はいない。トレセンもいない。
ある者は体の強さで。ある者はスタミナで。スピードが売りの者。ドリブルに長ける者。
わずかな武器を結集させ、スキルに勝る相手を打ち負かす。
ほんのこの前、「なでしこ」にやられてた「草食男子」が、いつのまにたくましい戦士に生まれ変わったのか。

いただいたのは小さなトロフィーだったが、チームにとっては大きな飛躍だ。
小さな大会の勲章だけど、過去のビッグタイトルよりも誇らしいのはなぜだろう。
やっぱりサッカーって楽しい。勝つってうれしい。優勝するって超キモチイイ!

疲労とともに帰宅して、シャワー浴びてリビングへ。
トロフィーを前にして、ひとりで乾杯。ワイングラスを傾けながら、武コーチが送ってくれた写メをながめる。
最高の笑顔のフォトグラフ。少しだけ、携帯の画面がにじんでいた。

2012年8月20日月曜日

草サッカー2012 (12)

お礼
子どもたちのお家の人に当てた便りです。

◯清水にこさせてくれてありがとう。清水では、楽しいこと悲しいこと、5泊6日は一しゅんでした。楽しかったです。本当にありがとうございます。

◯清水に行かせてくれてありがとう。清水では、ビッグセーブができました。

◯お母さん、お父さんへ 清水に連れて行ってくれて本当にありがとうございます。ぼくは清水で協力の大切さや、早ね早起きのつらさなど、いろいろと学びました。お母さんやお父さんの応えんのおかげで3点とれました。いろいろつらいこともあったけれど、楽しかったです。

◯清水では、サッカーのプレーのことを学んだし、生活のねる時間を21:00にしていたり、朝ごはんの米を2はい食べたりしました。みんなと楽しく過ごせたので良かったです。

◯清水では楽しんでいます。サッカーで勝ててうれしいです。それも、お父さん、お母さんのおかげです。ありがとう。

◯清水に行かせてくれてありがとう。清水ではサッカー以外にも協力の大切さなど、生活のことも学んだよ。

◯生しらすと桜えびを食べました。清水のために大金を出してくれてありがとう。

◯お父さん、お母さん 清水に連れてきてくれてありがとう。この一週間ですごく成長しました。時々さみしくなります。おみやげは、ぼくの帰りを待っててね。会うのが楽しみです。(笑)

◯清水では、楽しいことがたくさんです。お父さん、お母さんの応えんのおかげで3点取ることができました。ありがとう。

◯清水の遠征では、サッカーの事でいろいろコーチから学んで、生活面でも家とはちがってきっちりスケジュールが決まって、ちょっと時間にきびしくなりました。お母さん、お父さん、レオッち、遠征に行かせてくれてありがとうございます。

◯お父さん・お父さんへ 清水につれて来ていただきありがとうございます。家族の応えんのおかげで4得点決めることができました。本当に応えんに来ていただきありがとうございました。

◯清水で学んだことはごはんをたくさん食べることです。清水遠征につれてきてくれてありがとう。おいしいごはんをつくってくれてありがとう。

◯両親へ 清水へ行かしてくれてありがとう。清水では、ふだんできないようなきちょうな体験がたくさんできました。サッカーや生活面でいろいろ成長したと思います。6日間本当に楽しかったです。改めてありがとう。psおみやげ楽しみにしておいてね。

◯お母さんお父さんへ 清水へ高いお金をはらってつれて行ってくれてありがとう。清水では試合がいっぱいあり、いい経験になりました。この一週間で仲間と楽しく過ごせて楽しかったです。

⇒今回の清水(初めて富士市に宿泊しました)では、宿泊した旅館の人にとても親切にしていただきました。心づくしの料理を始め、いろいろとお世話になりました。子どもたちへの温かい心づかいが子どもたちのよいパフォーマンスを生んだことは間違いありません。草サッカーにたずさわるすべての方々に心よりお礼申し上げます。ありがとうございました。

⇒子どもたちはこの遠征を通じ、時間の大切さに気づき、協力することの必要性を知り、仲間と一緒に過ごす楽しさを味わいました。また、まわりの人たちが自分たちに尽くしてくださることに対する感謝の気持ちをもつことができました。素晴らしい体験をしましたが、これをこれからに生かしていってほしいですね。

2012年8月13日月曜日

草サッカー2012 仲間

草サッカー2012 (11)

<清水で成長したこと>

今日は「清水にきて自分が成長したと思うこと」を書いてもらいました。

◯サッカーで成長したことはスルーパスやサイドチェンジなどの攻撃です。清水にくる前は同サイドばかり出したり、何タッチもしてボールをうばわれていました。でも、レベルの高い清水では、す早く回さないといけないと気づいて、サイドチェンジやスルーパスをするようになりました。

◯清水に来てから試合を重ねるごとにその場面で何をすればよいか判断できるようになった。これからも試合を重ねるごとに判断がよくなるようにがんばる。 清水に来てから、日に日に早寝早起きをの習慣ができてきた。これからも、早寝早起きの習慣をつけたい。

◯ぼくが清水でせいちょうしたことはご飯を食べる量です。最初に旅館でご飯を食べたとき、すごく多くてびっくりしました。きらいな物もありました。でもがんばって食べました。すると次の日からはご飯が多くても普通に食べれるようになりました。そして、コンディションも良くなったような気がしました。これからは、もっともっとたくさん食べて、好ききらいしないようにして、元気な体を作りたいです。

◯寝る、ご飯を食べるとパフォーマンスがよくなる。 パスの練習をしたから少し精度が上がった。 シュートを遠くから積極的に打てるようになった。 勝つ楽しさ、負ける悔しさがわかった。 あいさつの大切さを知った。 これから、このようなことをいっぱいしたい。

◯清水で成長したことはあいさつです。終わりのあいさつで握手をしない人がいたので、自分から握手をしようとしました。断られてしまいましたが、そういうときに握手をしようとしたのは初めてなので、自分が成長したなと思いました。これからは、試合の結果に関係なくあいさつをしっかりしたいです。

◯清水にくる前はごはんをあまり食べなかったけど、ごはんがたくさん出ても残さず食べました。 サッカーでは攻守の切りかえがおそく、オフサイドにかかってしまったけれど、清水にきてからは、攻守の切りかえが早くなりました。 声はいろいろなことに役立っています。はげます言葉や、チーム全体に声をかければみんなにやる気が出ます。

◯ぼくは清水でいろいろなことを学んだ。その中でも一番よかったのは、プレーのことだ。プレーではスライディングが一番得意だでも、清水カップに出ていたキーパーを見てわかった。もうちょっと手を使わないと負けると思った。このことを一番学んだ。

◯清水で成長したことが二つあります。一つ目は消灯時間と起床時間を守ることで、早ね早起きができるようになった。二つ目はみんなで協力して宿で泊まることができたことです。 これからはもっとサッカーがうまくなって、サッカーを楽しくしたいです。

◯清水では声を出すことの大切さがわかりました。一敗した試合の失点した場面では、もし声が出ていれば防げたかもしれなかったです。これからは、全員にかける声以外では、個人にマークのことやその他のアドバイスをしようと思います。

◯清水で成長した点は、相手に強く当たることです。以前はちょっとこわくて間を開けていたけれど、そういうことを感じなくなり強く当たることができるようになりました。

◯決定率が上がった。 早ね早起きができた。 したくが早くなった。 整理生とんが細かくなった。 みんなと協力して過ごせました。

◯食べることや寝ることの大切さがよくわかった。 しかけるところか、キープするところかの判断が見についた。 試合に負けてすごく悲しくなった。でも、次がんばろうと切りかえることができた。

◯清水では一週間という長い間親のいない生活をしました。みんなでねて、ごはんを食べてということことを経験をして、やがて大人になり一人で生活できるようになるのだと思いました。清水の遠征はとてもいい経験になりました。

◯ぼくが清水にきて成長したことはボールを追いかけるという気持ちです。ぼくはみんなより身体能力が低いので、人一倍がんばらなければレギュラーになれません。だからボールをいっしょうけんめい追いかけることを目標にしたのです。一試合目、二試合目とボールを追いかけまわしたらそれができるようになりました。これからは成長できたことも、他のことももっと成長できるようにしたいです。

⇒5泊6日という期間を一人で仲間と過ごす経験は、初めての子がほとんどです。サッカーのゲームだけでなく、いろいろな場面で子どもたちは多くのことを学んでいます。文はつたなく、ちぐはぐなものも多いですが、そこに感じるのは実に生き生きと合宿生活を送っていることです。仲間のすばらしさ、協力することの大切さは口で言って身につくものではありません。ここで得た大切なものをこれからのサッカー、あるいは成長の糧にしていってほしいと思います。

草サッカー2012 (10)

エネルギー

4日目第二試合 対静岡中田SSS
動きが悪く、声も出ません。蹴り合いの続く消耗戦。残り2分ワンチャンスを決められ、ゲーム終了。0対1。心身ともにエネルギー切れです。

今日一日を反省し、明日の最終戦につなげましょう。

Fwd: 試合前の練習

勝利のスイカ

試合前の練習・イーグルス応援団

草サッカー2012 (9)

「清水遠征で学んだこと」2

◯清水遠征で学んだことは協力です。まず一つ目はゲームで声を出したりして協力すれば、1点でも多くの点をとることができて、試合に勝つことができると思いました。二つ目は食事での協力です。協力することでものごとが良い方に行ったり、早く終わったりするということを学びました。これからは、他のことにも協力して取り組みたいです。

◯すいみんを長くとることは大事だけれど、早く起きても人にめいわくをかけてはいけない。おいしいご飯を作ってくれた旅館の人に感謝の気持ちを込めて、ご飯をたくさん食べたいです。

◯団体行動だと、一番おそい人に合わせることを知った。 みんなでいっしょに4日間ご飯を食べたり風呂に入ったりして友情が深まることを感じた。これからはもっと友情を深めたい。

◯清水に来てからいろいろなあいさつを使った。今まではあいさつといってもしっかりやっていたわけではない。たとえば負けたときにやるあいさつは少してきとうにやっていた。けれども清水に来てからは相手とあく手をするとき、しっかり「ありがとうございます」と心をこめて言っている。なぜなら、負けたときの場合、相手にがんばってほしいと思ったからだ。清水に来てあいさつのことを学んだ。

◯ぼくが清水で学んだことは、みんなでいっしょうけんめいがんばって勝ったときの喜びです。昨日の二試合目のときに、途中からはげしい雨が降ってきてびしょびしょなり、ピッチにも水たまりができました。それでも、みんないっしょうけんめい最後まで戦って勝ちました。その時は今まで戦ったどの試合よりもうれしく感じました。これからも、どんな試合でも最後まで勝利を信じて戦って、勝ったときの喜びを味わいたいです。

◯ぼくが清水で学んだことは、みんなと協力するということです。特に清水は5泊6日という長い時間多人数でくらします。ご飯のときはみんなで協力してご飯をつけたり、水をついだり、汁物を配ったりします。そうすると早くご飯を食べることができ、その時間を他のことに使えます。これからはこの遠征で学んだ「協力」ということをしていこうと思います

◯毎朝、毎晩おいしいご飯を作ってくれる旅館の人に「ありがとう」の気持ちをもっています。お金を出してくれた両親にも感謝です。サッカーを教えてくれたコーチにも感謝して一日一日を過ごしたいと思います。自由時間に友だちと話したり遊んだりすることが、いかに幸せかがわかりました。

草サッカー2012 〈9〉

順位トーナメント1回戦 対高部SSS

今日から順位トーナメントが始まりました。イーグルスは5位トーナメント。1回戦は地元高部SSS、清水では名前をよく聞く強豪です。

試合開始から雨が降り始めます。立ち上がりは相手ペース。遠くからもどんどんシュートを打たれます。しかし、徐々に盛り返しイーブンな試合展開になりました。前半は双方とも見せ場がなく終了しました。
後半開始早々、右に出たボールにするどく反応したR君が右30度から右足を一旋、キーパーの頭を超えたボールは、見事左サイドネットに突き刺さりました。
雨はだんだん強くなり、グランドコンディションはスリッピーに。双方の選手はリスクを犯さず、蹴り合いの様相になりました。残り7分、相手右ウイングの選手をフリーにしてしまう。そこから、見事なロングシュートを決められ同点。
さらに両チームとも活発に攻め合いましたが、ついにタイムアップ。PK戦になりました。
イーグルス先行。1人目は左上に豪快に決めました。相手の1人目はキーパーの逆を取り決めました。イーグルス2人目は、相手キーパーの逆をつきゴール。相手2人目は左をねらいましたが、左に動いたキーパーの読み通り正面に。難なく止めて1-2となりました。3人目は右をめがけキック。ゴール。相手3人目はプレッシャーがかかったか、ゴール上にはずしました。この時点で3-1。次を決めれば勝ち。イーグルス4人目は左サイドネットをめがけキック。見事ゴール。PK戦を4-1で制して勝ちました。

◯初のPK戦勝利だ\(^o^)/
◯これを決めれば勝利。やった決めた!めちゃうれしかった。
◯1点取られたけど、ビッグセーブができてうれしかった。
◯PKで1本止めれて、めちゃうれしかった。

次は2:50から準決勝です。

2012年8月12日日曜日

草サッカー2012 8

今日のテーマは「清水で学んだこと」です

◯試合中名古屋にいる時よりコミュニケーションをとっていた。これからも、もっと味方とコミュニケーションをとりたい。

◯清水では協力することを学んだ。一人では不便なことやできないことがあるからそれを学んだ。サッカーでもこのようなコミュニケーションが必要だから協力することが大切だと思う。これからは、もっとみんなに声が聞こえる大きさで声かけしたいと思います。

◯清水では寝る大切さがわかりました。いつもの土日は寝るのが午後11時です。だからかわからないけれど、次の日の午前中はねむいです。遠征は寝る時間が21時に決まっています。だから次の日の午前中の試合も集中できたと思います。これからは家でも21時に寝ようと思います。

◯ぼくは3泊4日ぐらいでちょっとだけ家がこいしくなった。お母さんとお父さんと弟が来てくれたから試合でめちゃくちゃきんちょうしたけど「ぼく今見られているな〜」と思って、おりゃーとがんばったら、親や弟の前で1点が取れた。むねがスッとした。家族が見ているだけでこんだけがんばれたから、家族の力はすごいなーと思いました。これからも試合とかで親や弟にきてもらい、喜んでもらえるようにしたいです。

◯他のチームが大きな声であいさつをしていた。あいさつされると自分も気持ちが良かった。だから、これからは、自分もあいさつをしっかりしようと思った。 自分はいつも寝るのがおそかった。清水に来てから早く寝るようになるとコンディションがよくなった。寝ることが大事だということがわかった。これからは早く寝ることにする。

◯早寝早起きををすると、朝スッキリ起きれて、夜はぐっすり眠れる。 協力すると物事が早く終わる。笑顔をすると、まわりも笑顔になる。

◯ぼくがこの遠征に来て学んだことは、お母さんやお父さんへの感謝の気持ちです。なぜかというと、いつもお母さんやお父さんに送ってもらったり、月謝を出してもらったりしているからです。サッカーができるのはお母さんやお父さんのおかげなので、次の試合、全ての試合で活躍して、自分のいいプレーを見てもらいたい。明日からガツガツディフェンスできる自分を見てもらいたいし、そのようにプレーします。

⇒子どもたちは本当に書いたように思っているのでしょうか?それは次のように考えたら良いのではないでしょうか。子どもの心の中に最初からそういう考えがあるのではなく、「書くこと(言葉を文章にしすること)によってそういう考えが生まれる」のだと。そう考えれば、「うざ」「超キモイ」「意味わかんなくね〜」と言った簡単な言葉では済ますのでなく、言葉を使って丁寧に文章にすることが大切です。何がどううざいのか、気持ちが悪い理由は、何がどうわからないのか、などをはっきりさせることによって、自分の気持ちをよりはっきりした形にすることができるわけです。そして、様々な場面でその言葉を使ってみたり、その言葉のように行動することによって、本当に自分のものにしていくということです。
みなさんも、自分に対して、あるいは人に対して「それはどう言う意味なの」と問い、より詳しい言葉で語るようにしたらどうでしょうか?

草サッカー2012 7

〈 勝った!〉
前半5分先制。終始押し気味で前半終了~⁉かと思ったところで失点(; ̄ェ ̄)
前半を1-1で折り返しました。
後半は厳しいデフェンスで相手にチャンスを作らせない。一方イーグルスの攻撃も、後一歩の所でワクをとらえられない。残り5分、見事なループシュートが決まる!残り時間は4分、3分、2分、1分と過ぎて行く。そして最後まで相手にチャンスを作らせないなか、残り30秒で1点を決める。
3-1またもや勝利
◯勝ったぞ、うれしい。
◯実力です。(^-^)/
◯最高です。
◯4勝1敗だ。
◯よっしゃ‼

2012年8月11日土曜日

草サッカー2012 6

今日は選手たちにサッカー以外のことを書いてもらいました。

◯清水にきてサッカー以外に良かったことは食事です。食事はとてもごうかで、おいしいし、みんなで食べると楽しいし、苦手なものも食べれるようになったので良かった。
◯初めて一週間もサッカーの遠征にきていろいろなことに気づきました。一つ目はお母さんやお父さんに感謝する気持ちが強くなりました。なぜかというと、一週間も泊まるので服やサッカー用品を買ってくれたからです。二つ目はチームと一しょに一週間も泊まるのでいろいろストレスがたまると思ったけれど、ねる時や自由時間に一しょにトランプをしたりして、チーム全体がニコニコしているので楽しいです。
◯家では手伝いをなるべくしたい。たとえば、皿を洗ったり、そうじをしたり犬のトイレを取りかえたりする。
◯清水のご飯は5回ぐらい食べた。朝ご飯は目玉焼きやみそ汁、ご飯、野菜などで、いつも食べている量と同じぐらいだけど、清水はデザートがある時があるから好き。でも、本当のことをいうと量が多い。いつもの家での夜は二品ぐらい少ない。これからは遠征のために家の夜ご飯を多くしてもらおうと思う。
◯夏休みは、朝ごはんを作ってあげている。作るものはチャーハン、スクランブルエッグをよく作る。自分が食べたらおいしいし、お母さんやお兄ちゃんが食べて、おいしいと言ってくれるとすごくうれしい。
◯二日目の夕方にあまりまわりを見ないでクツを脱ごうとしたため、花びんを割ってしまった。次からは気をつけようと反省した。旅館の人たちがいつもおいしい料理を出してくれるので感動した。ふとんの寝心地が良かった。
◯すべてのことにおいて、一番遅くならない。早寝早起きをする。みんなとしっかりコミュニケーションをとる。行儀をよくする。水分をしっかりとる。ご飯をたくさん食べて、しっかりバランスよく食べる。コーチの話をしっかり聞く。みんなが困ったときは努力をし合う。体に気をつけて食べる。家の手伝いをする。きちんと考えて行動する。
◯ぼくは早くねることと、早く起きることを遠征で学びました。クラブチームの遠征、学校の野外学習、修学旅行などは時間がすべて決まっている。家ではおそくまでは起きていないけれど、朝はおそい。この遠征で早ね早起きをして、家でもそうしたい。
◯二日目の消灯時間の前の自由時間にみんなでトランプをした。仲間と過ごすって、楽しいと改めて思った。
◯旅館に入った時、貴重品ばかりでびっくりした。夜の二時ぐらいにトイレにいった。めちゃくちゃこわかった。
◯清水の旅館のご飯はすごくおいしい。けれど量が多い。朝食は主にご飯やみそ汁がでて、夜は肉などが出る。家でも同じ感じのご飯。でも量がちがうからここのご飯をすべて食べれるようにしたい。清水から帰ったら、清水と同じくらいご飯をしっかり食べて健康にすごしたい。
◯清水に来てからいろいろなことをした。その中でもご飯を食べるのが一番良かった。おいしいものもあれば、きらいなものもあった。でもおいしく食べれるようにしっかり味つけがされていたから、何とかきらいなものも食べれたし、一つきらいなものが好きになったからすごくうれしい。今日も他の食べ物がこくふくできるようにがんばりたい。

草サッカー2012 snap shot 3

草サッカー2012 5

5〜8位トーナメント一回戦
対由比サッカースポーツ少年団
2ー1で勝ち
後半開始早々一点先行。しかし雨が激しく降り始め、お互いに蹴り合いの試合になる。残り10分を切り、ロングシュートを決められ同点。残り時間わずか、雷がなり始めた中で決勝ゴール。素晴らしい!

イーグルスもっか3勝1敗で奮闘中。明日は5.6位をかけ戦います。

草サッカー2012 4

草サッカー二日目、良いサッカーをしています。
対富士見スポーツクラブサッカー部
2−0で勝利
一次リーグ2位
午後は5~8位
トーナメントです。

草サッカー2012 snap shot 2

2012年8月10日金曜日

草サッカー2012 3

<悔しさ>
第二試合 対印西 0−1
後半の半ば過ぎ、痛恨の失点。健闘むなしく敗戦。
よく闘いました。でも、足りないものがたくさんあります。そのところをよく考えて明日につなげましょう。

◯周りを見てすばやく判断するためには、周りを見て味方がどんな体勢かを意識する。あと、プレーはトラップが大事だからよく考えてする。
◯ごはんを残さず食べて、すいみんを長くとらないと、自分のいいパフォーマンスができないので、ちゃんとご飯を食べ、長くすいみんもとります。
◯‥‥こんなことでよろこんで満足していてはいいろころまでいけないから、ディフェンスの時はマークをはずさず、こうげき参加するときは裏のスペースへ走ってクロスを入れたり、積極的にシュートを打って、ゴールをねらいたいです。
◯二人をかわして、左のサイドネットにシュートがつきささった。この時は本当にうれしかった。

草サッカー2012 2

草サッカーが始まりました。
場所は由比。山に囲まれた海の町。
選手たちはみんな元気です。
第一試合。
対由比サッカースポーツ少年団フレッシュ
3−0で快勝
さい先の良いスタートです。

2012年8月9日木曜日

草サッカー2012 1

 いよいよ草サッカーが始まりました。今日は三保で練習マッチを行い、三保の松原見学しました。旅館はとっても快適、ご飯も美味しいです。環境は言うことなし、後は選手たちの頑張りに期待です。
 今年も選手たちの声を届けます。
◯明日の清水カップで完ぺきなシュートを決めたいです。
◯明日の試合は勝って笑って帰る。
◯この大会で勝っていい成績を残して帰りたいです。
◯今日は決定的なシュートを決めきれなかったので、明日は決めたいです。
◯明日から本大会が始まるので、良いサッカーができるようにがんばりたいです。
◯がんばって通算3点決める。
◯明日からは相手も強くなってくるから、全力でプレーしたいです。
◯明日は声を出していっしょうけんめい走ってがんばりたいです。
◯今日、ハットトリックができたので、明日からの清水カップで得点王になりたいです。
◯今日は判断がおそかったので、明日からは判断を速くしてパスをどんどんつないでいきたいです。
 ◯今日は前ばっかりいって、あまりつなげなかったから、ディフェンスやキーパーも使ってつなぎたいです。今日の夜は、全然ご飯が食べれなかったから、これからいっぱいご飯を食べたいです。
◯声が出せなかったから、明日からはがんばりたいです。
◯明日から、強いチームのプレーを見てまねしたいです。
◯今日よりも声を出していきたいです。

草サッカー2012 snap shot 1

第26回少年少女草サッカー大会関連リンク

名古屋イーグルの試合結果はここに掲載されます。 
http://www.kusa1987.jp/common/pc/team/1_175.html 


ここからリンクを辿ることで、ほぼリアルタイムで試合速報を得ることがができます。ボランティアの皆さんに感謝!

子供達の活躍の様子はこの写真館から膨大なアーカイブです。清水に来てくれたカメラマンに感謝!!

http://fun.kusa1987.jp/photo2012/photo/index.php

2012年7月2日月曜日

EURO2012観戦紀行 3  − 別れの曲 −


クラクフの アンデルスホテル−今までで最高にオシャレな部屋だった−を朝6時過ぎにチェックアウトし、最後の観戦地 ポズナン へ向かう。なんと9時間超(!)の長旅だ。最高のホテルだったのに朝食をとることさえできず、車内販売のまずいコーヒーでサンドイッチを流し込む。持参した本は読みつくし、イーグルスに関する議論もしつくし、もはや寝る以外にすることはない。途中、鍵の壊れかけたトイレに閉じ込められるアクシデントもあったが、なんとか無事に脱出し(笑)到着。地方都市の中央駅なのに、鶴舞駅よりさびれて、汚く、暗いイメージだ。タクシー(これも本当に安い)で Sunny Hotel まで。持参したGoogleの地図もホントあてにならんな。4〜5kmの徒 歩圏内かと思ったが全然違う。
イタリア−クロアチア。グループリーグの第2節はハズレのない好ゲームになることが多い。初戦はどちらも、守備的に手堅くいく可能性があるし、第3節になると 連敗 で ジエンド となってる場合もある。それに対し第2節は初戦にどんな結果であっても、突破 と 敗退 が確定していないから、熱いゲームが期待できる。それがわかってるから両チームのサポーターたちもアツイ!スタジアム周辺での狂喜。アンセムの後の恍惚。ゴール後の爆発と落胆。この人たちの人生の悲喜は、フットボール(カルチョ)以外にないのではないか。まったく困ったもんだ...それじゃ俺と同じじゃないか(笑)
イタリア国歌をサポーターたちとともに歌う。口ずさめる自分が笑える。 
期待にたがわぬ激闘に酔い、「ぼったくりタクシー」で帰還する(笑) ホテルのレストランで名物料理とスペインの美しいパス回し(スペインvsアイルランド)にさらに酔う。ポーランド最後の夜は、切なく、ノスタルジックにふけていった。
ポズナン中央駅で、この旅最後の列車を待つ。おそらく二度と来ることはないであろう、中世の都に別れを告げる。結局覚えたポーランド語は ピーボ(ビールの意)だけだった(笑)
しかし、実は期待していなかったんだが、ポーランド料理は本当に安くておいしかった。ヨーロッパで美味いものといえば、イタ飯かスペ飯くらいしかないと思ってたんだけど、目からうろこだった。ガイド本にある通り、ポーランド人は親切で優しかった。アジアの中年オヤジが困ってると、声かけてくれたり。「美人が多い」ってのも本当だった。街ですれ違う民間人に、ハリウッド女優クラス が大勢いる。イーグルスの母親たちもおキレイだが、女優クラス となるとね(笑)
まあ長々つまらんこと書いたけど、書けたのはほんのごく一部であって、心とアタマに刻み込まれた記憶は膨大な量だ。そこにはいろんなストレスもあったけど、過ぎてしまえばすべからく素晴らしき想い出になる。家に閉じこもり、TVゲームしたり、小銭数えてたって意味なんかない。いきあたりばったり でもなんとかなるもんさ。旅もサッカーも人生もね(笑)

EURO2012観戦紀行 2  − 雨だれのプレリュード −


本日は ウロツワフ まで向かい ギリシャ−チェコ 観戦。ランチに寄った瀟洒なテラスのお店で初めての ピエロギ と ビア。期待してなかったわりにはなかなかに美味いじゃないか。それにほんとうに安い!4万円強換金して持参したが、使い切れるだろうか。急にセレブになった気分だ(笑)
今までのヨーロッパツアーでは、チケットの入手はすべて現地アタック(ダフ屋交渉)だったので、今回すべてのチケが手元にあることはありがたい。しかもこのカードはほとんど正価だし。ゲーム内容は論ずるに値しないが、席はカテ1でピッチに近い上、3ゴールすべてが間近で見られたので大満足。
夜はネットで予約した三ツ星ホテル併設のレストランでディナー。池のほとりのロマンチックなテラスで地元料理に舌鼓。野郎二人なのが本当に悲しい(笑)飲み食いしながら液晶大画面で ポーランド−ロシア を観戦。かわいいウエイトレスたちと地元ポーランドを応援。レバンドフスキやアルシャビン、ザゴエフら、個の能力も高いし連動も悪くない。(今じゃ日本より格下だろう)くらいに思ってたが、意外な好ゲームに酔いました。まあ、シチュエーションがそう思わせたのかもね。
私の知るヨーロッパのの青空はどこへいったのだろう。 
明くる朝はザーザー降りの雨。灰色の空に荘厳な街並みも、セピアな香りがしていいね。これから クラクフ まで6時間超の列車移動。古都・クラクフはこの国一の観光都市だ。ヴィエリチカ岩塩坑やアウシュビッツ等、世界遺産が充実し観光には最適な街だ。なのに下調べもろくせず、いきあたりばったりの旅ゆえ、当然そんな余裕はなかった。欧州屈指の広さといわれる中央広場を少々散策し、自分とクラブへのお土産を買いこむ程度だ。広場に面したイタリアンカフェで夕飯。デンマーク−ポルトガル の死闘を肴に、ピエロギ、パスタ、ビアにワインにウォッカに酔う。考えうるかぎり、人生において極上の贅沢だ。店の娘もほんとうに美しい。
そしてさらに、ホテルに戻り観戦するのが、因縁の オランダ−ドイツ ときてる!ビール片手に堪能すると、(もう死んでもいい)という気分にさせてくれます(笑)
いつのまにか、雨はやんでいた。
* 副題は  雨音はショパンの調べ にしようかと思いましたがやめました(笑)

EURO2012観戦紀行 1   − 英雄ポロネーズ −

毎度おなじみ退屈の極みである十数時間の空の旅を経て「フレデリック・ショパン国際空港」へ降り立った。初めての(旧)共産圏で待ち受けていたのは、リュック・ベッソンのシネマなみの暴走タクシーだった。「ドリブルのほうが運転より速い」といわれる安全運転の林Cにしたら、ショック死しそうなスピードだろう。青空のイメージの西側諸国と違い、ワルシャワ(ネイティブには ウォルソウ という)の街はどこか暗く、汚く、危険な香りがした。チェックインしたホテルの外観と窓から見えるスタジアムの風景に、祭りの始まる予感。

予想外のきれいな部屋と豪華なブレックファストを堪能し、翌日は列車で グダンスク へと向かう。
「あなた方の乗る列車は満席だ!」いきなり、旅のすべてを否定されたかのような、中央駅でのトラブルも乗り越え(笑)無事に1等車の指定席をゲットする。
海外で初めて、「ネット予約」したホテルを不安を胸に訪ねる。Googleの地図はファジー過ぎたので、親切なポーランド人の優しさに触れて辿りつく。緑に囲まれた、坂の上の宿はホテルというより、小金もちのお屋敷であった。2階の1室に荷物を放り込み、タクシーでスタジアムへ向かう。
スペイン−イタリア(予選リーグ 第1節)  いきなりのメインイベントである(まさかファイナルと同カードになろうとは!)ゲームの経過は省略。今さら語るまでもないからね。スペインのボール回しはリズミカルで心地よい。頭の中を軽快なピアノ曲が駆け巡る。世界のヒーローたちのそれは、まるで『英雄ポロネーズ』を聞いているようだ。秀逸な シャビ、イニエスタ、ピルロの視野。自分を中心に半径4〜50mが上空から見えている。4〜5mも見えない(中には4〜50cmしか見えない)Aチームの選手たちにどのような指導を施せばよいのか。いや、指導ではなく、きっと「天賦の才」というものなんだろうなあ。

バルト海に面した美しい港町、とあるが結局、駅とホテルとスタジアム以外に足を運ぶことはなかった。ディナーに入った高級ホテル「メルキュール」で供されたのは、ハンバーガーとサンドイッチ。言葉がわからないとこうなるんだな(笑)けどドラフトビアはおいしかったよ。

あっというまに「バルトに浮かぶ琥珀」をあとにし、「欧州鉄道の旅」でふたたびピアノの詩人の生まれた、首都へ。ポーランド −平原の地 の意− らしい起伏の少ない草原地帯をスローなオンボロ列車が走る。ワルシャワに戻り、ガイドブック掲載の ピエロギ(ポーランド風ギョウザ)のお店をさがしあてディナー。メニューが意味不明なので目当てのモノは結果食せなかったが、スープと料理はどちらも美味だったし、それも旅の思い出だ。

2012年5月26日土曜日

5年前 名古屋×京都 開幕戦

2008年のこと。その年の開幕戦は、不安だった。グランパスは、ストイコビッチが監督に就任して間もなくだったから。僕はストイコビッチに期待はしていなかった。セルビアのサッカー協会の会長とは言え、監督としての実績は皆無。名選手は必ずしも名監督ではない。

でも、その日のサッカーは、Incredible Spectacle Excitingな内容だった。ベンゲルが名古屋を率いた1995年後半のシーズンのような 印象を受けた。ストイコビッチがピッチにいないのに、チームが機能していた。竹内や阿部がクロスを上げる、ヨンセンをめがけて。マギヌンが仕掛ける。小川が攻撃を後ろからサポートする。不思議なくらい、こぼれ球を名古屋が拾って、次々と選手が攻撃を繰り出す。決定力がある選手がいれば、何点取れたかわからないぐらいの攻撃。

テレビの前で大声を上げて応援した。あっという間に試合は終わった。結果は1-1だったが、結果なんかどうでもいい。去年と選手はそうは変わらない。何が、選手をそうさせたのか? 見ていて楽しいし、やりたいことが判りやすい。全員の意図が統一されている。攻撃をするんだという気持ちがみなぎっていた。

5年後、優勝候補と呼ばれるチームになってきたが、5年前のような「攻撃的に行くぞ。」という気迫が全く感じられない。フツーのチーム。ダルな感じが抜けない。何時負けても不思議でない。もう一度、Spectacleな試合が見てみたい。


2012年5月23日水曜日

メディアの功罪

なんでも鑑定団 が好きでよく見ている。ずいぶん前の放送だが中島先生の言葉にうなずいた。

「骨董市もいいけれど、たまには国立博物館にでも行って、本物を見てください」

そうなんだな。次元もカテゴリーも違うが、私のサッカー人生もまさにそう思う。好きで愛して惚れて憎んだフットボールであるが、瑞穂や豊スタ、国立に横浜に日本平に世界各地…。トップクラスの観戦はそれでも200はないだろうが、今のサッカー観を形成する基にはなってるよね。だから本物でない子どもたちを見ると、短所や伸びしろ、適性とかなんとかを感じて見抜くことができる(と思っている・笑)。
一方で本物を観たことのない少年や(見ても気づかない君や)、知った気になっているご家族に気づいてほしい。フットボールの奥深さと素晴らしさを。そのとき、僕たちの心と価値観がマリアージュする気がするんだ。

骨董市でニセモノつかまされる素人愛好家と比べては気の毒だが、少年はやはりまだ本物ではない。ニセモノではないが『未熟者』ではある。未熟者を見ると、ついつい口を出し手を加えたくなる。けれど、インスタントの本物なんてありえないし、手取り足取りで出来るようになったところで、次の壁でスグ挫折することは目に見えている。
わかっているのに、やってること(指導)はいつまでも変わらないんだ(笑)
ただし、焼き物や掛け軸のニセモノと違い、未熟者の死闘には、ときに激しい感動が潜んでいる(多治見フェスティバル準決勝のようにね)だから指導者はやめられない。

一方で話は変わるが、30年前と比べると、メディアで流されるフットボールの情報はケタ違いに増えた。月に1、2度、教育テレビで放映されたJFLと『三菱ダイヤモンドサッカー』だけが映像の情報源だった。1本2〜3千円したVHSテープで録画し、擦り切れるほど繰り返し見たっけ。今じゃ数十あるチャンネルのどこかでフットボールが流れてる。プレミア最終節やCL決勝さえ、当たり前のようにライブ中継される。その分、観戦者は贅沢になって、じっくりゲームを見続けることに飽きていないか?ラスト15分や、シュートやセーブやラストパスのビッグプレーだけを追い求めてはいないか?結末を重視するあまり、過程を軽視していないか?

ゴールシーンをいくら見たところで、それに至る積み上げの凄さに気づかなければ、真のゴールの感動に辿り着けないのに。

ここんとこ君たちのマズいゲームを見続けたから、お口直しに『本物』を観てきますね(笑)家庭を軽視して(笑)

2012年4月27日金曜日

世界百名スタジアム 2

ネタが尽きたときのシリーズ物…と自分で書いておきながら、すっかり忘れてた第二弾は、2002年 W杯で観戦したお隣り韓国の 蔚山(ウルサン)ワールドカップスタジアム です。(もう10年前になるのか)

蔚山という街は‥(ホテルからの徒歩圏内しか知らないが)いわゆる下町なんだね(多分)滞在したホテルも観光やビジネスじゃなく、期間限定の(ラブホ)だった(笑)
部屋に鍵はかからないし、だから隣室の巨大なロシア人が間違えて入ってきたときは、(これで死ぬんか!?)と思ったんだよな(笑)下町だからゆえか、物価は本当に安い!MENUのハングルを見てもさっぱりわからないし、写真もないから「おまかせ」にするしかなかったけど、キムチ各種は食べ放題。ツヤのいい黒豆かと思ったのがゴキブリだったのはほんのご愛嬌(笑)汚い焼肉屋で二人で(相棒はノンアルコールだが)飲み食いし、計2万ウォン(今なら1400円か)強!? 3万W出して「釣りはチップで」と言ったのに、通じないのか受け取れないのか‥
別の店では、少し高級な焼き肉店だったが、シシトウと青唐辛子を間違えてほうばり、小ビンビール15本飲んでも、口の中の炎が一向に消えず、結局熱を出した。
発熱のために身体がだるく早く寝たいのに、その日勝利したブラジルサポーターが、ホテルに面した通りで朝までサンバで踊り狂ってるもんだから眠れなかったし。
たしか4、5日滞在して、釜山と行ったり来たりしながら3試合観戦した。
レコパ(ウルグアイ)の左足。
トマソン(デンマーク)の高さ。
チラベルト(パラグアイ)の恫喝。
リュシュトゥ(トルコ)のセーブ
ロナウドのシュートにリバウドの演技(ブラジル)
試合の経過は覚えてないが、断片的な記憶はカラー映像と、香りとともに残っている。

そして、最後に行った海外観戦からいつのまにか4年も経った。今年はEURO/ウクライナ・ポーランド ‥逡巡の末、行くことにしました。‥行ってる間、二週はこどもたちの顔見られないけどね‥。
ま、親はなくとも子は育つ と言うし(笑)
代わりの親も調達してきたし(笑)
EUROで学んだことを少しでもイーグルスに伝えられたら、価値があるということにしよう(笑)

ホントにそろそろ新しいネタを仕入れてこないと、このブログもマジで書くことない(笑)

ん?スタジアムのこと‥ほとんど触れていないな(笑)まあ気にしないでください(笑)

2012年4月11日水曜日

東亜合成グランド

日本人にとって、桜は特別な花です。川や池の堤、公園、学校、会社、民家、どこにも当たり前のように咲いています。
東亜合成グランドの桜は今年も見事です。
桜も日本人の心も大切にしなければなりません。

2012年3月25日日曜日

荒わしカップ2

荒わしカップ、2勝3敗。
清水の子どもたちはみんなサッカーが上手です。たくさんの勉強をしました。この経験をこれからの成長のかてにしなければなりません。
晴天に恵まれ、二日間とも美しい富士山を見ることができました。

荒わしカップ

4年生10人、3年生4人は清水、荒わしカップに参加しています。
全員元気で全開です。o(゜∇゜*o)(o*゜∇゜)o〜♪

2012年3月22日木曜日

固いキズナ

固いきずなに想いを寄せて...

先日、高校を卒業したばかりの連中の「同窓会」があった。
彼らの父母の、一部グループとの飲み会はたまに催されてはいたが、ABの垣根をこえ教え子が一堂に会しての集まりは初めてだった。
たまたま、仲間うちから「日本一」が出た、というのも動機づけにはなったのだろう。30人ほどの卒団生のうち、都合がつかなかったり、連絡が取れなかったりした数名を除き、21人の若者が集った。半分近くが6年ぶりに会う顔だった。なかには、変ぼうのあまり、誰か思い出せないヤツもいた。サッカーと学年以外、共通するものはなにもなく、会ってしばらくの戸惑いと照れも時間の経過とともに消え、心と頭は「小学生」に戻って遊んだ。寒風と花粉の舞う中、3時間もフットサルに没頭し、その 異常なうまさに感心した。隣のコートのスクールコーチが「どんな組織ですか!?」と驚嘆して聞いてきた。
中高で全国を経験したものは5名、クラブや部活で「主将」や「副主将」の肩書をもつものは7〜8名。それ以外もほとんどの者が、なんらかのカタチでサッカーとかかわっていた。さすがに、これからもフットボールに人生をかける者は半分にも満たなかったが、彼らのプレイ中の表情を見れば彼らにとってのサッカーがなんなのか手に取るようにわかった。

6、7年前を振り返ると、ベストの指導ができたとはいいがたい。アレもコレも、教えられなかったことのほうが多い。成績も、彼らの力量に見合った戦果だとはとてもいえない。けれども、サッカーに魅了されてやってきた子どもたちが、学生になる今も変わらずフットボールを愛している。その1点においてのみ、僕ら指導者がやった仕事は、悪くなかったんじゃないか、と思う。
「目標は、サッカーが好きで好きでたまらない少年を育てること」 いつかの総会でそう語ったから。

彼らの未来に栄光あれ。君に幸せあれ。
(BGMは長渕剛『乾杯』でお願いします・笑)

2012年3月18日日曜日

西尾チャリティーカップ

6年生最後の大会。素晴らしいチームワークでした。たくさんの感動をありがとう、6年生の選手たち。

うさぎ

昨日の総会で表彰され立派なトロフィーを頂きました。

このチームは叱られ叱られ(^-^;勝ち負け色々ありましたが選手達はよく頑張りました。

来期も参戦します!

2012年3月12日月曜日

Education & Soccer

Education & Soccer
震災から1年、明日の日本をを考えるとき、子どもたちの教育やサッカー、そして子どもたちの将来を考えずにはいられません。1年間勤務した小学校の子どもたちへのメッセージを転載します。
<大清水小学校のみなさんへ>
ー震災から1年ー
6年生はもうすぐ卒業ですね。少し早いですがお祝いの言葉をいいます。「大清水小学校の6年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。あなたたちはこれからの日本を担っていく人たちです。これからも一生懸命勉強をしていってください。」
昨日震災から1年が経ちました。先生はあなたたちに伝えたい事があります。先生は震災からずっと考えてきたことがあります。それは「がんばろう!日本」という言葉です。先生は何をがんばればよいのか?と。そして、見つけた答えがあります。
今日お話しするのは「石巻市立大川小学校のこと」と、「さかなクン」のことです。
みなさんは大川小学校のことを知っていますか。震災で全校の子ども108人の内、70人の子どもが亡くなり、4人の子どもが行方不明となってしまった学校です。30人のクラスだとすると、30人の仲間の内、実に20人の以上の子どもが死んでしまったのです。冷たい津波にさらわれてどんなにか苦しかったろう、又どんなにか生きたかったかと思うと、本当に胸が痛みます。大川小学校の子どもたちは学校で楽しく過ごすことも、将来の夢を語ることもできなくなってしまったのですね。
どうしてそんなにたくさんの犠牲者がでたのでしょう。それは逃げようとしたときに津波が来る方向へ逃げてしまったからです。またそんなところまで津波がくると思わなかったからです。こんなことになってしまったのは防災意識の低さからと言われています。
先生方も子どもを守ることができず、どんなにか無念な気持ちだったろうと思います。
私たちは普段当たり前のようにして生きています。しかしそんな当たり前のことができなくなってしまうと、「その事がどれほど素晴らしいことか」ということが改めてわかります。
ところで、みなさんは「さかなクン」のことを知っていますか。お魚の帽子をかぶって「ギョギョ〜」という言葉を使う人です。テレビにもよく出てくるので知っていますよね。
さて、さかなクンは大学の先生ですが、さかなクンがさかなのことを大好きになったきっかけを知っていますか。
<問題です>
①小学校2年生のとき、さかなクンの自由帳にウルトラマンとすみを吹いて戦っているタコの落書きがかかれていたのを見て、タコのかわいらしさのとりこになったから。
②6年生の時、友だちから卒業の記念にとってもステキな魚のイラストをもらったから。
③3年生の時、お家の人と行ったお寿司屋さんで、とっても美味しいお寿司を食べたから。
答えは①です。
さかなクンはそれから、図書館でタコの図鑑を読みあさり、お母さんには、1か月かんずっとタコ料理をつくってもらったんです。タコだけでなく魚のことが大好きになったさかなクンは、中学校3年生のとき日本でも珍しいカブトガニの養殖に成功します。魚のTVチャンピオンにもなります。そして、今は大学の先生になりました。
田沢湖で絶滅したと思われていたクニマスを富士山の近くの西湖で再発見して、天皇陛下から「この度の、クニマスの発見に、さかなクン始め多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います。」とほめていただいたんです。本当にすばらしいことです。
さかなクンは、小学校の卒業文集に将来の夢を次のように書きました。将来の夢は「水産大学の先生になることです。研究したことを、いろいろみんなに伝えてあげたいからです。」と。夢がかなったことになりますね。
大川小学校の子どもたちのことは残念でなりませんが、「自分の目標に向かって一生懸命生きる。」ってことはとても大切なことで、みなさんも自分の将来に向かって精一杯がんばってください。

そして、先生の「がんばろう!日本」は「みなさんががんばることを応援すること」だとわかりました。
今年一年みなさんが、図工や書写や読書を頑張ってくれてとてもうれしかったです。みなさん、これからもがんばってさかなクンのようになってください。
岩本先生より

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2012年3月11日日曜日

3/10-11 奈良遠征

3/10、11と6年生は奈良遠征に行ってきました。2勝5敗でしたがとても勇敢に戦いました。そのチームスピリットは賞賛に値する素晴らしいものでした。
選手がした、宿舎でのお礼の言葉。
コーチ…今日は震災から一年です。そのことについてどう思うか、お礼の言葉に添えて話してください。
選手…今日は震災から一年たちますが、震災でサッカーができなくなった選手の分も頑張ってプレーします。昨日、今日とお世話になり、ありがとうございました。
宿舎の人の話…震災でサッカーがができなくなった子の分もがんばるんですね。ぜひ頑張ってください。
イーグルスの選手たちが、これからもサッカーを通して成長してくれることを心から願っています。
岩本コーチ

獺祭

だっさい。

プレーのことでは無い。今日の素晴らしい戦いにに乾杯している。日本酒である。

慌ててはいけない。昨日栓を開け、空気に触れてまる1日。1年ものあいだ熟成されたこの酒はこれで眠りから完全に目覚めた。価値あるものを味わうにはそれなりの準備が必要なのだ。

お花見まではこの酒で!店主のお話し。…何の話しだ?

2012年2月23日木曜日

トレーニングセンター

トレーニングセンター 通称「トレセン」なんだか今では、地域の「選抜」のように扱われている。元々の意味合いは違う。もはや手元に資料すらないが、たしか16、7年前の発足当時のコンセプトはこんな感じだった。

「大きなクラブだけでなく、中小のクラブから町の少年団まで、多くの組織から広く選手を集め、JFA(中央)の指針と育成メニューを伝え、指導者・選手から、それぞれのチームへと広め、全体の底上げをはかる。」

ということはつまり、受講者の上から順番にピックアップするわけじゃないんだよね。

チームに一人、トレセンメンバーがいれば、彼を通じて新しい考え方や面白いメニューを学び、そのチームの全員が享受する。結果、それをきっかけに後々伸びる選手がいれば、全体の、ひいては代表の強化につながる。

たしかこんな感じだったっけ?

いつからか、すっかり様が変わった。

同じチームから10人も15人も合格し、一方でひとりの合格者も出せないチームが協会登録の半数以上にのぼる。

今日では、たしかに一部のブランドクラブに有力な選手たちが集まる傾向があるし、大きな可能性を秘めた選手を15人抱えている というのは事実だろう。

あの長友が、明治大の1・2年時、観客席で応援の太鼓を叩いていた なんて逸話(?)を聞くと、必ずしもその時の中心選手がすべてではないとは思うけど‥。逆にいえば、ちっぽけなクラブにもダイヤの原石はいるんだけどね。

都合のいい話で、多数の選手を推薦してたときには(よそのヘボエースより、ウチのスーパーサブ選べよ)と思ったものだが、ヘボエースの身内になると(コイツ選べないで「トレセンスタッフ」名乗るなよ)なんて思ったりもする。

ただ、ひとつだけ確かなことは、トレセン選手は選ばれても トレセンコーチは選ばれた方がやってるわけでは決してない(笑)
私イチ押しの、後の日本一メンバーの能力も見抜けず、義理で推薦した選手は何故か受かり、そのためその親は勘違いしてケンカ別れした原因となったし。
トレセンに関わって(よかったな)なんて、いい思いしたことなど一度もない。
ボランティアでがんばっているスタッフのみなさんには申し訳ないが、やってる方々は、結局ヒマで「肩書」を求める指導者の方なんだろう?(笑)

こんなことばっかり言ってるから、「お前のチームからは絶対に選ばない!」なんて、目の仇にされるんだけど(笑)

幸運なことに、イーグルス初のトレセン選手の誕生は、来年に持ち越しました!(笑)

2012年1月22日日曜日

選手権 エピローグ

全国4174校の頂点を決める最後の45分が始まった。
46分。1on1のシーンがTVのアップで映し出される。異常なまでのクイックネス。武でもはたして抜けるかどうか!?
57分。たいして仕事はしてないのに、アップで何度も映る。
60分。ようやく市船に連動が見られ始める。
62分。初めてと言っていい、決定的チャンスもネットを揺らせない。
66分。決定的ピンチを凌ぎ。
69分。キレとスピードとキープ力のある池辺投入。
四中工に疲れが見え、足が止まり始める。
74分。岩淵のシュートは左ポストをかすめる。
残り15分を切り、嵐の猛攻がスタートする。

そして、両チームにとって、地獄のような、最終盤が近づいてきた。

FKとCKの終わりなき繰り返し。
90分過ぎ。(そうそうロスタイムの劇的などあるわけないさ)何百何千というゲームを見続け、それらの多くは当事者として体感し、悲劇的な結末は記憶してるクセに、稀にあった感激は(今度はそううまくいかない)と信じないフリをして、自分に不都合な結末に、傷つかないよう心にバリアをはる。
眼下のブルーのサポーター(市船部員)たちは、今この瞬間を一体で戦い、全細胞で信じきり、叶わなかったときのことなど微塵も考えていない。
若いって素晴らしい。青春っていいな。
そして、達観しているつもりの中年の後頭部を蹴飛ばすような「同点ゴール」が目の前で炸裂する。

叫ぶでもなく、立ち上がりもしない。(これで新幹線、数本遅れるな)なんて人ごとのような感想。
負の感情を抑えこもうとすると、ハジけることも忘れてしまうのか。

延長戦。

7、8年前の当事の仲間たちは、どんな心境で見つめているのだろう。
羨望。嫉妬。自慢。勇気。そして誇り。センター試験の追い込みも、しばし手を休め魅入っているのか。
神が用意していたにしては、あまりに出来過ぎた逆転劇。17、8の少年に背負わせるにはあまりに重い十字架。

そして、代々木の寒空を切り裂く、澄んだホイッスル。

二、三回戦は声かけのため最前列まで降りたのに、今はなんだか遠くへ行ってしまった気がして、表彰式も見ずにメトロに乗った。気がつけば のぞみ の車中で熱海あたりを走ってる。

ふと思いつき、メールを書きこむ。

「有頂天にならず、謙虚に、自分を見失うな」

日本はおろか、県や市の頂点にすら立てない私が言うべき言葉か?自嘲気味に苦笑する。

さて、来週からはがんばるぞ!潤に出来たのだから、イーグルスのヤツらに出来ないはずはない。 スキル・能力・メンタリティ。たしかに違うから、彼になることは出来ないだろう。ただ、彼のように「自分を信じ、あきらめずに努力する」ことが出来たら、結果がどうあれ、きっといいサッカー人生が送れるに違いない。「自分を信じる」ことの大切さと素晴らしさ。それを少しでも伝えられたら、もしかすると今の気分と同じ満足感が得られるのかな。

高校選手権 その3

おとといの寒さを警戒し過ぎて、ヒートテックの下にさらに着込み臨んだが、汗ばむほどの陽気だ。
いや、気候だけではない。人間の数と、自分を含めての大勢の高揚感が熱気を生んでいるのか。
14時キックオフの90分前には現地入りを果たす。スタジアム周辺はすでにラッシュアワーのような人波だ。青の軍団に白の一団。グッズ販売のテントは家族連れが列をなす。思えば選手権決勝は初体験だ。W杯やEURO、代表戦やJリーグは何度も観たが、それらとはまた違う盛り上がりだ。

選手権関連誌は本屋であるだけ買い漁った。残念ながら、どこをめくっても「彼」の記事には巡り会えない。名門の副将とはいえ、地味なポジションだし、それ以前にそもそも下手クソだし(笑)

昔を懐かしむうちに時間が過ぎ、選手入場。JFAのお偉方から久子さまとまで握手をかわす。

公式発表では4万数千ってことだが、6万入るはずのこの器のどこに空席があるのかわからない。総会で、わずか数十人の前で話すのがストレスの自分にしたら、数万人が見つめる中でプレイをすることの緊張感は想像が及ばない。

J資格を持つレフェリーの、よく通る透きとおった笛の音が響き、ファイナルが開演する。落としたボールを背番号5が右フラッグめがけて左足を振り抜く。跳ね返されたボールが彼の担当する左サイドを襲う。ゴールキックに逃れようとした思惑は外れボールの勢いは死ぬ。イキナリのCK。絶対の自信を持つCK。そしてそこから、本物のドラマが幕を開ける。

1分もたたぬうち、ビハインドを背負う。
8分。潤が意地を見せ、高い位置でインターセプトからアーリークロス。これはやや精度を欠きGKの懐に収まる。
13分。かつての戦友、寺尾の突破を許す。
20分。小学校時代と同じフォームでハイボールを弾き返す。
26分。小学校時代とは見違える精度でクロスをあげる。
42分。「鈴木」のエピソードがTVで紹介される。
感心したのもつかの間、44分。イージーな壁パスをミスる(やっぱ下手なところは変わってないわ・笑)

前半終了。

2012年1月21日土曜日

子どもスポーツフェスタ・フットサル

6年生はフットサルの大会に参加しました。AB2チームです。
がんばります。

2012年1月14日土曜日

高校選手権 その2

久しぶりの聖地 国立競技場。先人たちの汗と涙が染み込んだ地に、あの小僧が足を踏み入れるのか。

電光掲示のメンバー発表で、すでに涙腺が緩む。
超高校級の攻撃力を持つ大分を超高校級の守備力で迎え撃つ。その鉄壁の一角を潤が担うことは、すなわち私の眼力のたしかさを物語っている。ならば、今年のイーグルスも間違いなく強くなれるはずだ(彼らのメンタルが潤と同じレベルであるならば)

それまで17点を上げた大分攻撃陣にまったくと言っていいほど仕事をさせない。スコアこそ2−1だが、内容的にはワンサイドゲーム。見ていておもしろくない、いやつまらな過ぎるサッカーだが、この守備を破る高校はいるのか。
もう一方のカードを観ると、高校生らしい、そして現代の「バルサッカー」を手本とする、美しく速くパスをつなぎ、人とボールがよく動き連動するフットボールだ。が、あまりに軽く甘い守備を見ると、やっぱり子どもと大人の中間点 との思いは否めない。


閑話休題

今日 8日はなにもすることがない。クラブの新年の初蹴り(親子サッカー)と総会だというのに、世田谷の親戚宅で時間を持て余す。思えばこんな休日はこの10年あっただろうか?平日仕事して、土日は球を蹴る。たまの休日は雨か墓参りか妻の足だ。

下北沢の駅周辺を散策し、昼食の店を物色する。思いがけず、昼から 立ち呑み の機会に恵まれたことに気づく。

市場の中の汚い店に腰を落ち着け、昼からホッピーと煮込みで酔う。ふと壁掛けの古時計を見ると、13時前だ。遠く名古屋(いや、飛島村か)では、今頃『総会』が始まろうとしてる。カタチだけ『代表』の私の不在は、物議を醸すか、ひんしゅくを買っているのだろうか。みなの「緊張」を想像したら、自分の「弛緩」した現実とのギャップに、ますます酒が旨くなってきた(笑)

ラグビーの大学選手権決勝が本日国立で行われることを知り、それもまた楽しみだと、モチベーが上がる。飲む前は行く気満々だったのに、昼から二軒ハシゴしたら、もうどうでもよくなって、酒と肴を調達し「宿」へと帰還する。

TV観戦に切り替え、途中うたた寝するも、最後のPGは見届け、マッサージチェアでしばし爆睡。

お腹空いてないけど、奮発してくれた夕飯、お寿司と鍋 をビアとワインで流し込む。泣いても笑っても、明日は高校最後のゲームだ。そして、彼が、数万人はいたであろう同級の選手では、日本にわずか数人しか残っていない「現役」の一員として、明日を迎えられることが単純にうれしい。

2012年1月11日水曜日

2012 高校サッカー観戦記1

品川駅から総武線を乗り継ぎ千葉へと向かう。内房線に乗り換えると、都心から数十分とは思えないほどの田園風景が広がる。寂れた工場に商店。人の影は少なく、灰色の空に見事にマッチして、過疎な雰囲気をより演出している。
田舎特有の古臭いバスに乗ると、10分もかからず工業地帯の真ん中にあるスタジアムにたどり着いた。

急ぎ足で階段を上がると、僕らを待っててくれたようなタイミングで主審の笛が響いた。

青いチームの左サイドを探すが見つからない。やはりケガは完治せず、先発は外れたようだ。
立ち上がりのミスを突かれ追いかける展開となるも、終盤になんとかこじ開け際どく3回戦進出。

夜は両国のちゃんこ屋で馬刺しと焼鳥と鍋をつつく。久しぶりの親友と飲む酒は本当に旨い。タダ酒だから特に(笑)

朝早いから眠いんだけど、これで帰るのはもったいない。もう一軒だけ、古い居酒屋をひとりで訪ね、旅気分を満喫して帰る。

翌朝、ホテルの朝食バイキング中、電話が入る。

「今日は先発で出ます」

名門校の全国大会となると、この時点でメンバー発表するのか。とにかく楽しみが増した。

神田のつけ麺で少し早いランチを済ませてから会場入り。もう一方のカード 四中工戦をついでに観戦し、心を整える。清商戦は山場だろう。単なる強豪、でない思いがあるはずだ。小6冬の清水チャンピオンズカップ。圧倒的にやられ、スタンドから観た 王者清水FC の王様・風間との直接対決。6年ぶりに訪れたリベンジの舞台だ。

成長かチーム力か。かつて見上げた日本のエースになにも仕事をさせず、完勝でベスト8へ駒を進める。

準々決勝は仕事の調整がつかずあきらめる。心のどこかで(ここで負ければ悩まなくてすむ)想いが疼く。準決・決勝は週末の三連休で行くか?しかしクラブの総会・初蹴りを犠牲にしなきゃならん。新年のスタートに子どもたちにかける言葉も去年から考えている。昨年散々泣かされた雨を期待するが、予報では絶好のサッカー日和だ。人生とはかくも皮肉なもの。

スタッフの好意。イーグルスの子どもたちの顔。妻の後押し。いろんな想いが交錯し、綱引きをする。けれどもダメ押しはやっぱり本人からの電話。上京を決意し、旅仕度を整える。