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2017年10月31日火曜日

チームは生きものである

9月下書き  その後加筆

まずはロシア行きのチケットを手に入れられて本当によかった。
本田と心中ならロシアはない、と一年前のコラムに書いたが、ほぼそのようになったかな) と思う。おそらくは彼には本大会もないんじゃないかと思う。バックアップメンバーに入れるにしても、30歳過ぎのロートルよりハタチ前後の若者に経験させるほうがずっと未来のためになる。高校生の久保君でもいい。

さて、その最終予選の豪とサウジ戦ほか、そして夏休み期間に戦ったわがチームのいくつかのカップ戦を振り返り、素直に思うことを綴る。

日本の豪戦の戦い方は素晴らしかった。攻撃が活性化し、決定機をいくつもつくった というわけではないが、(まずは相手になにもやらせない) という一発勝負の鉄則を忠実に体現したのが日本の勝因だと思う。ただ、それ以上に最大の要因は、オーストラリアが、自分たちのベスト、いやピークだったときの力を発揮できなかった ことに尽きる。6月のコンフェデ杯のチリ戦のパフォーマンスをみたら、到底かなわないと思ってたもんな。そしてわが日本のその後の戦いにも同じことを感じる。サウジ戦や、ニュージーランド、ハイチ戦などを見るにつけ (同じチームか?) と思わざるを得ない(ま、ハイチ戦は別チームだったが)

つまり、日本も豪も、素晴らしくもあり、また、時間や移動、コンディションや覚悟によって情けなくもなってしまう というのが集団競技の難しく、面白いところなのだ。

そしてわがAチームに結ぶ。3年前のスタート時はソースケのワンマンチームに過ぎず、大黒柱を失ってからは負け続けた世代だったが、フィジカルの成長と、フットボールへのわずかな理解、そしてほんの少しの自信を積み重ね、ちょっとだけ勝てるようになった。12Lやカップ戦で素晴らしい戦いがあった一方で、目を覆うような低質なゲームもみせた。同じ人間がやっているのになぜそんなことが起きるのか。選手と同じく、チームも生きものであるからだ。生きているからこそ、好調も不調もあろう。ただし忘れるな。自分やチームを、生かすも殺すも、結局は自分自身なのだ。
美しい勝利も、みじめな敗北も、すべてはおまえらが生み、おまえらが殺したのだ。

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