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2012年5月23日水曜日

メディアの功罪

なんでも鑑定団 が好きでよく見ている。ずいぶん前の放送だが中島先生の言葉にうなずいた。

「骨董市もいいけれど、たまには国立博物館にでも行って、本物を見てください」

そうなんだな。次元もカテゴリーも違うが、私のサッカー人生もまさにそう思う。好きで愛して惚れて憎んだフットボールであるが、瑞穂や豊スタ、国立に横浜に日本平に世界各地…。トップクラスの観戦はそれでも200はないだろうが、今のサッカー観を形成する基にはなってるよね。だから本物でない子どもたちを見ると、短所や伸びしろ、適性とかなんとかを感じて見抜くことができる(と思っている・笑)。
一方で本物を観たことのない少年や(見ても気づかない君や)、知った気になっているご家族に気づいてほしい。フットボールの奥深さと素晴らしさを。そのとき、僕たちの心と価値観がマリアージュする気がするんだ。

骨董市でニセモノつかまされる素人愛好家と比べては気の毒だが、少年はやはりまだ本物ではない。ニセモノではないが『未熟者』ではある。未熟者を見ると、ついつい口を出し手を加えたくなる。けれど、インスタントの本物なんてありえないし、手取り足取りで出来るようになったところで、次の壁でスグ挫折することは目に見えている。
わかっているのに、やってること(指導)はいつまでも変わらないんだ(笑)
ただし、焼き物や掛け軸のニセモノと違い、未熟者の死闘には、ときに激しい感動が潜んでいる(多治見フェスティバル準決勝のようにね)だから指導者はやめられない。

一方で話は変わるが、30年前と比べると、メディアで流されるフットボールの情報はケタ違いに増えた。月に1、2度、教育テレビで放映されたJFLと『三菱ダイヤモンドサッカー』だけが映像の情報源だった。1本2〜3千円したVHSテープで録画し、擦り切れるほど繰り返し見たっけ。今じゃ数十あるチャンネルのどこかでフットボールが流れてる。プレミア最終節やCL決勝さえ、当たり前のようにライブ中継される。その分、観戦者は贅沢になって、じっくりゲームを見続けることに飽きていないか?ラスト15分や、シュートやセーブやラストパスのビッグプレーだけを追い求めてはいないか?結末を重視するあまり、過程を軽視していないか?

ゴールシーンをいくら見たところで、それに至る積み上げの凄さに気づかなければ、真のゴールの感動に辿り着けないのに。

ここんとこ君たちのマズいゲームを見続けたから、お口直しに『本物』を観てきますね(笑)家庭を軽視して(笑)

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