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2012年11月10日土曜日

ニッポンのサッカー

代表チームを30年見続けてきて、この数年ではっきり変わったと感じる。
2年前の南アで(あれ?)と思った。去年の女子W杯で(おお!)と思い、ロンドン五輪で、なでしこや男子U23の快進撃を見るにつけ思う。日本らしいパスワークや人の連動ではなく、それは、守備の「したたかさ」だ。
'86メヒコ(W杯)アジア予選の北朝鮮戦や、アトランタ五輪組のアジア予選と「マイアミの奇跡」のように、押し込まれながら逃げ切った戦いもたしかにあった。だがそれは、あくまでも「がむしゃらにがんばった末の結果」であって、「したたかに逃げ切った」とは一線を画す。

*(先日のフランス戦初勝利は少し意味が違います。このブログは8月ころに書きためてました。)

相撲や甲子園に代表されるように、「雌雄を決する」ことにカタルシスを覚える国民性にとって、「引き分け」の価値観を理解することは難しい。強いものが勝ち、弱いものは敗れる、という至極当然な結末を当たり前に受け止めていた時代が過ぎ去ろうとしている。

南米の小国・ウルグアイが、世界の大国・ブラジルと競う。W杯予選で。南米選手権で。五輪や各年代の世界大会で。人口比は(よく知らないけど)たぶん数十分の1だ。
ヨーロッパではデンマークやウェールズが、ドイツやイタリアにかみつく。
個々の戦力を数値化すればチーム総力としての数字はかなうはずがない。けれど、それぞれの国民の根底のアイデンティティーには「だからどうした?」という、開き直りに近いメンタリティが宿る。

サッカーは球技のなかでは、極端にロースコアな競技だ。だから、少々の戦力差なんて結果に直結するとは限らない。これが、バスケやラグビーとなると、ドロー や 番狂わせ の起こる確率はずっと低くなる。フットボールが世界中で愛される理由はこれなんじゃないか。そしてこれこそが、ニッポンにたりなかった要素だ。

W杯や五輪で列強と当たると、ハナから(勝てないだろう)とあきらめる。(勝てないなら、引き分けに持ち込むか)というメンタリティに決定的に欠けている。いや、欠けていた。

それがどうだろう。ドイツの伝道師に導かれ、オランダやフランスの教師の教えを乞い、ブラジルのスターが率いて散って、バルカンのプロフェッサーに見直され、ニッポンの日本化に辿りつき、ようやく自分たちの道を見つけ、歩み始めた。
ドイツやイタリアが、バルサやスペインに感化され、自分たちのアイデンティティーを失った頃にやっと「守る文化」を習得したのは皮肉だが。

ブラジルへの道は視界が開けた。世界のビッグクラブでプレイする選手も増え、戦力的にも間違いなく史上最強の ニッポン代表 が、それまで足りなかったいろんな部分を埋めたとき、王国の本大会で待っている結末はいかなるものか。今から本当に楽しみだ。

やっぱり行こうかな...ブラジル。異常に遠いけど(汗)その次のロシア、カタールなんてさらに旅の楽しみはなさそうだし。2026年のヨーロッパ(W杯)なんて、自分やこの国の経済状況がどうなってるかさっぱりわからないし。最後のワールドカップと思って、へそくりはたくか(笑)

*添付の写真は今夏のEUROのスタジアムほかです。







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