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2018年4月12日木曜日

ニッポンサッカー 終わりの始まり ①

朝、大谷君の活躍を見ていたら 速報 が入った。
地震かなにかと思ったら、ハリル解任の電撃ニュースだった。 久々に声をあげた。
新聞、雑誌、ネット…いろんな媒体に目を通しているが、なにが真実かはわからないし、そして真相が明らかになることはないだろう。
田嶋の会見や、漏れ聞こえるところから推察し、選手と監督の間にギャップが生まれたのはたしかなようだ。
40年近くいろんな国の代表やクラブを見てきたが、選手と監督が一心同体 なんていうチームのほうがずっと稀有だ。
まず監督がやりたいサッカーがあって、それにかなう選手たちを集める。あるいは選手たちを鍛える。その過程において、ときに選手には過酷な要求も突きつけるが、それにより選手がひと皮むけたり、殻を破ることがままある。これを個人やチームの成長という。要求に応えられず、チームを去ったりサッカーをやめたりする者もでるが、学校の体育や部活じゃあるまいし、プロならば立ち向かわなければならない試練だろう。得意なこと、やりたいこと、好きなことだけをやらせてる ぬるま湯集団が、極限の生か死か の場面で勝ちきれるチームになれるとは思わない。

ザックが求めた、日本らしいパスサッカーがブラジルで無残に散り、足りないところを埋めるべく中南米や欧州のスパルタ教師を呼び寄せた。その教師が本当に日本選手に合っていたかどうかは、結局はわからぬままだったが、少なくとも デュエル・タテパス・カウンター というスタイルが本大会でなにをもたらしたか、結果を検証すべきであった。そうしたひとつ一つの積み重ねがニッポンサッカーの歴史の構築になってゆくはずだったのに。 まったく意味のない四年間になってしまった。

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