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2016年4月10日日曜日

なでしこの 花がちる

(2月下書き)


震災の年から咲き続けたなでしこの花が散った。

SAWAという太い太い幹を失い、接ぎ木を重ねて臨んだアジアの予選で立ちはだかったのは、世界有数のライバルたちだった。
佐々木監督とその信者たちが模索し構築した「女性版バルサッカー」は、5年の歳月を経て世界中で模倣され、研究されつくした。
いつの世も、どんな分野でもそうであるように、つくりあげること よりも、破壊することのほうがはるかに楽な作業である。
その意味において、ノリさんとなでしこが成し遂げた偉業は称賛こそされ、批判されることなどあってはならない。
ワールドカップとオリンピックという、女子においてはほとんどその価値に大差のないイベントで、3大会連続でファイナリストになった功績はこの先メジャーなチームスポーツではお目にかかれないだろう。(野球やシンクロのようなマイナー競技でない限り)
なんの構築もしたことのないゲスなメディアは、重箱の隅をつつくようにゴシップを探して部数を伸ばそうとする。
澤なきあと、国の女子サッカーの未来さえ背負った宮間の脚の重さに心が痛んだ。

運不運を語るのは勝負師にとってどうかと思うが、'11ドイツでの準決・決勝では、神がかり的な幸運を感じた。
ロンドン五輪や昨年のW杯でも、僅差のゲーム(仏戦、豪戦やイングランド戦)ではことごとくなでしこに運が転がりこんできた。
そしてそれらの反動のように、この予選では運に見放され、不運に見舞われた。それはもしかしたら澤という不世出の才能に、ついてまわってきたものなのかもしれない。

新しい時代を迎える。いやすでに新しい時代になっている。
駆け出しの指導者だったころ、自チームはもちろん、どこの対戦相手にも 女子選手などひとりもいなかった。それがどうだろう。 大会にいったり、有松小を見渡して、女の子を見かけないときなどない。
なでしこたちがひたむきに走り、ボールをつなぎ、勝利をつなぎ、ときにうちひしがれた日々は、この国を少しずつ変えていったのだ。

なでしこの花は散り、されどまたいつか咲くだろう。 

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