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2018年3月13日火曜日

8回目の 3.11

8年前まではその数字に意味などなかった 3.11 が意味を持つようになって丸7年が経過した。
その日は金曜日だった。翌日からの 奈良遠征 に備え、ドリンクや備品等の準備に奔走し、メモに目を走らせながらスーパーやドラッグストアをハシゴしていた。
「日銀前」交差点で揺れを感じ、異変を察知した。現在のチームメンバーが4,5歳のときだから、果たして彼らに記憶はあるのだろうか。
土曜日。曇り空、というより夜明け前の有松小学校に集合し、チャーターバスで出発した。近くのローソンであるだけ新聞を買って、往きの車中で読みつくした。
日本がどうなるのか という不安の中で大会は始まった。まだ真の被害が伝わっていなかったとはいえ、地震にふれることも、黙とうをすることもなく、ただ淡々とスケジュールは進められた。
夜の懇親会。さすがになにか言及があるだろうと思ったがそれもなく、自チームの出来と招待への感謝という お決まりのコメントが繰り返された。地元チームからだんだんに遠くのチームに順番がまわってきて、私の番になった。出席者はみな、いいかげん酔いもまわってきており、コメンテーターの話を聞くより着席のテーブルの低質な井戸端会議に花が咲いている状況になっていた。ほとんどキレかかっていた私が 『阪神淡路大震災を近くで経験した方々にしてはありえない対応に驚いています』 と言ってやったら静まり返った。

そして7年後、3.11 に因縁の地に来る機会に恵まれた。14:40 にスマホのアラームを設定し、14:46 に黙とうをさせようと決めていた。
なのに俺たちの試合のキックオフが 14:40 になって、それに気づくこともなく忘れてしまい、気づいた後で落ち込んだ。

これを世間では 風化 という。

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