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2011年3月18日金曜日

被災地に寄せて

昭和42年生まれの私は、当然戦争は知らない。知ってる限りの大惨事は16年前の阪神淡路大震災か。それと比べ、広範な地域も被災者の数も桁違いだ。これだけメディアがこぞって報道し、識者のコメントは多岐に渡る。いまさら、私ごときがかける言葉などなにもない。

選手が疲れてるときにかける『頑張れ!』のボキャブラリが、今被災地にかけるにふさわしいとは到底思えない。

被災の全貌はいまだ見えない。一体どれだけの人が亡くなったのだろう。どれだけの若者が消えたのだろう。どれだけのサッカー少年の夢がついえたのだろう。昔、福島のチームと試合した。宮城の少年たちは同宿になったことがある。茨城の指導者と飲んだこともあったな。あなたがたは今どうしていますか?

たまたま生きている‥いや、生かされている私たち。できることはなんだろう?募金?それはいいね。祈り‥それも素晴らしい。でもまあとにかく、一生懸命生きて、一生懸命サッカーをプレーして、一生懸命指導して、死んだ仲間の分まで真摯に取り組んで、いつか天国で再会したときに「手抜きせんかったな。まあ許したるわ」って東北弁で言われるようにね。

小学校を卒業したての彼らにはずいぶんな重荷だがしかたない。中学生になる前のこの時期に「サッカーができることの幸せ」を実感できたのは不謹慎だが幸運だ。

大会で全敗する屈辱も、涙が止まらない完敗も、悲劇的な逆転負けも、(俺のせいで負けた)という落胆もすべて、実は、「サッカーができる」ことの幸せの一部だったと気づくことができたのだから。

あえて、それでも伝えたい。

被災地のみなさん、生きていけば必ずいいことがありますよ。
いつか私の選手たちが、私の選手のそのまた教え子たちが、世界の舞台でこの国に勇気と希望をもたらす日がきっと来ますから。それまで生きていてください。必ず復活できますから。

なぜなら

あなたも私も日本人だ。世界に誇れる日本人のひとりだ。

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