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2012年3月12日月曜日

Education & Soccer

Education & Soccer
震災から1年、明日の日本をを考えるとき、子どもたちの教育やサッカー、そして子どもたちの将来を考えずにはいられません。1年間勤務した小学校の子どもたちへのメッセージを転載します。
<大清水小学校のみなさんへ>
ー震災から1年ー
6年生はもうすぐ卒業ですね。少し早いですがお祝いの言葉をいいます。「大清水小学校の6年生のみなさん、ご卒業おめでとうございます。あなたたちはこれからの日本を担っていく人たちです。これからも一生懸命勉強をしていってください。」
昨日震災から1年が経ちました。先生はあなたたちに伝えたい事があります。先生は震災からずっと考えてきたことがあります。それは「がんばろう!日本」という言葉です。先生は何をがんばればよいのか?と。そして、見つけた答えがあります。
今日お話しするのは「石巻市立大川小学校のこと」と、「さかなクン」のことです。
みなさんは大川小学校のことを知っていますか。震災で全校の子ども108人の内、70人の子どもが亡くなり、4人の子どもが行方不明となってしまった学校です。30人のクラスだとすると、30人の仲間の内、実に20人の以上の子どもが死んでしまったのです。冷たい津波にさらわれてどんなにか苦しかったろう、又どんなにか生きたかったかと思うと、本当に胸が痛みます。大川小学校の子どもたちは学校で楽しく過ごすことも、将来の夢を語ることもできなくなってしまったのですね。
どうしてそんなにたくさんの犠牲者がでたのでしょう。それは逃げようとしたときに津波が来る方向へ逃げてしまったからです。またそんなところまで津波がくると思わなかったからです。こんなことになってしまったのは防災意識の低さからと言われています。
先生方も子どもを守ることができず、どんなにか無念な気持ちだったろうと思います。
私たちは普段当たり前のようにして生きています。しかしそんな当たり前のことができなくなってしまうと、「その事がどれほど素晴らしいことか」ということが改めてわかります。
ところで、みなさんは「さかなクン」のことを知っていますか。お魚の帽子をかぶって「ギョギョ〜」という言葉を使う人です。テレビにもよく出てくるので知っていますよね。
さて、さかなクンは大学の先生ですが、さかなクンがさかなのことを大好きになったきっかけを知っていますか。
<問題です>
①小学校2年生のとき、さかなクンの自由帳にウルトラマンとすみを吹いて戦っているタコの落書きがかかれていたのを見て、タコのかわいらしさのとりこになったから。
②6年生の時、友だちから卒業の記念にとってもステキな魚のイラストをもらったから。
③3年生の時、お家の人と行ったお寿司屋さんで、とっても美味しいお寿司を食べたから。
答えは①です。
さかなクンはそれから、図書館でタコの図鑑を読みあさり、お母さんには、1か月かんずっとタコ料理をつくってもらったんです。タコだけでなく魚のことが大好きになったさかなクンは、中学校3年生のとき日本でも珍しいカブトガニの養殖に成功します。魚のTVチャンピオンにもなります。そして、今は大学の先生になりました。
田沢湖で絶滅したと思われていたクニマスを富士山の近くの西湖で再発見して、天皇陛下から「この度の、クニマスの発見に、さかなクン始め多くの人々が関わり、協力したことをうれしく思います。」とほめていただいたんです。本当にすばらしいことです。
さかなクンは、小学校の卒業文集に将来の夢を次のように書きました。将来の夢は「水産大学の先生になることです。研究したことを、いろいろみんなに伝えてあげたいからです。」と。夢がかなったことになりますね。
大川小学校の子どもたちのことは残念でなりませんが、「自分の目標に向かって一生懸命生きる。」ってことはとても大切なことで、みなさんも自分の将来に向かって精一杯がんばってください。

そして、先生の「がんばろう!日本」は「みなさんががんばることを応援すること」だとわかりました。
今年一年みなさんが、図工や書写や読書を頑張ってくれてとてもうれしかったです。みなさん、これからもがんばってさかなクンのようになってください。
岩本先生より

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