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2014年6月25日水曜日

W杯日本代表テクニカルレポート 

さて、世界の祭典はまだまだ続くが、わが青きサムライたちも散ったことだし、記憶の生々しいうちに書き留めておこう。

まずは、全選手、スタッフのみなさんに お疲れさまでした といいたい。

結果に満足はいかないが、スペイン、イタリア、イングランド...などの優勝経験国でさえ一次リーグ敗退することがあるのが、4年に一度のこの舞台なんだ。
ランキングでグループ最下位の日本が、ランキング通りの順位でもけっして恥ずかしいことじゃない。


'12南アで、守備的な戦術で16強進出を果たしたが、120分の 守りあい の末、PK方式で先へ進むことができなかった。

ベスト8、ベスト4 という目標を現実的なものととらえ、オシムが果たせなかった ニッポンのサッカー を構築し突き詰めようとした方向性は間違ってはいない。
事実、2年前のアウェーの豪戦のようなプレイができれば、本当に世界と戦える との確信があった。
昨年のコンフェデ杯等うまくいかないときもあったが、まだ 伝統 とすら呼べぬ自分らの歩む道をようやく見つけ出したばかりなのでしかたない。

大会前のTMで、DFの不安は解消されぬままだったが、相手より多く点を取る という勝負事の鉄則において結果は出していた。

さて本大会。

� コージボ戦

開始10分。なにが起きているのかわからなかった。 冬 のはずのブラジル・レシフェで、蒸し風呂のような暑さなのか。
初めから飛ばしては 90分はとてももたない という判断か。 どの時点であげていくのか。 

機能するときもしないときもあったけれど、これだけ運動量が少なく、連動もなく、選手間の距離が遠いネガティブな代表は初めてだった。
やっている自分たちが一番その異変に気づいていたはずだ。なのにあろうことか、先制をしてしまった。これがかえってよくなかった。
0−0 のこう着が続いたり、先制されでもしたら逆にスイッチが入ったかもしれない。

連動もクソもない、動きのイマイチな巨象の突進におびえ、刀を携えたサムライは、鞘から抜くことなく家に閉じこもった。
腰がひけ、足がすくみ、受け身になって振りまわされては、残り20分で 闘う体力・精神力など残っていようはずもない。
最高の舞台で見せるはずの、4年間突き詰めてきた自分たちのサッカーを、自分たちで信じ切れずに、別のチームになってしまった。

望まずしてそうなったのか、ザックのゲームプランなのかはわからない。ただただ無念で哀しい敗戦だった。


� ギリシャ戦

コージボ戦とは一転、攻撃的に前へ の意識とアグレッシブさ が顕著に出た戦いだった。
選手たちの決意のほどは感じとれた。しかしこれも大舞台におけるメンタリティの変化なのか、ボックス内に侵入しての崩し、4、5本続くワンタッチパスは ほとんどみられなかった。それでも、きわどいシーンはいくつかはあった。決めきれなかったのが実力ということだろう。 
理解に苦しむことは、最後の数分のパワープレイだ。ギリシャにとってはさほど脅威でもない 吉田 を上げての放り込み は効果があるとの読みなのだろうか。
たしかに可能性は0ではない。どんなチームでもパワープレイからのカオスで思いもよらないチャンスやピンチが生まれることはありえる。
が、今回は交代カードがもう1枚残っていた。斉藤、清武ら、ドリブルに長けた人選はなかったのだろうか。

ギリシャのゴール前は、白く巨大な円柱が並ぶ パルテノン神殿 のようだった。そこに侵入するのは、のろい巨人でなく、小回りのきくネズミやウサギのほうが適していると思えるのだが。

その点において、疑問の残るドローだった。


� コロンビア戦

素晴らしい闘いだった。こんな代表を見たかった。

北島ラグビーのように、 前へ前へ と愚直に突進した。突進した先にあったのは、華麗なる いなし とカウンターアタックだった。

星取表も、スコアも、8年前のドイツ大会ときわめて似ている。だがしかし、今私の胸に去来するのは当時の失望ではなく、限りない希望だ。

おぼろげだった進むべき道の、輪郭がはっきりとしてきた。今の子どもたちか、そのまた彼らの教え子たちが、この国に光をもたらす日が来ることを信じたい。

だがしかし、反省と分析を忘れてはならない。どこをどう修正して、未来につなげていくのか。

私は個人攻撃は好きではないが、今野のPK献上で大きくゲームプランが狂ったと思っている。
DFは、とくにCBは、ときに赤紙と引き換えにでも相手をつぶし、チームを救わねばならないこともある。
けれどあのシーンはそうではなかった。時間帯もスコアも、なにより倒した相手 ラモス の体勢(体の向き)をみても。

かつてザックが語った。

「それぞれがおかれている環境のなかで成長してくれればいい」

私もHコーチも断言していた  「岡崎がヨーロッパで通用するはずがない」

という確信を覆してみせたのは、なによりも彼自身の努力と成長だ。

ならば、ワールドクラスとはほど遠い J2の舞台で一年を過ごし、J1に上がってからはポジションさえ失いそうになった今野は、環境の中で成長したといえるのか。
フィジカルにおいて譲る彼が、高さと強さで競り 負け、ヘッドを叩きこまれたのなら納得する。ポカのある吉田や、若い森重があれを犯してしまったのなら(しかたない)とあきらめもつく。だが、身体能力はさておき、読みとクレバーさ、スキル、判断において重宝してもらってた今野のあのファウルはない。いや、今野は彼なりに精一杯やったんだ。ピークに比べずいぶん下がってしまっても、必死に戻そうと頑張ったのだろう。だが、練習やマッチで(厳しい)と判断されたから、コージボ戦で外されたのではないのか。それが、たった1試合で、しかもフリーで放り込まれたクロスにつききれなかった という理由で?森重に代えて投入された。けどやっぱり、J2とは次元の違う舞台と相手なんだ。TMとは違う真剣勝負の場で、今野に対応させることが そもそもの誤りではなかったのか。...加えて森重の扱いは、なんだか選手に責任を押しつけているようで、あまり気分がよくない。 (少し論点がズレた)

それでも、それで逆にスイッチが入ったのか、その後の怒涛の前がかりは悪くなかった。 生か死か の局面で、ゆっくりまわしてるチームなど世界のどこにもないのだし。
前半終了間際のゴールは理想的だった。おそらくはハーフタイムに入るであろう ギリシャ−コージボ戦の経過も理想的だ。このままなら、2点差とはいわない、ただ勝利するだけで、棚ボタの突破が手に入るというのに。

ハーフタイムのミーティング内容を知りたい。行くしかない局面の立ち上がりに、なぜに足が止まるのか。 ハメ ス・ロドリゲス登場へのリスペクトか? コージボ戦からなにも学んでいないのか。

案の定、守る文化もDFの激しさも持ち合わせない守備陣は、当然のように破綻をきたす。 格上の相手に30分で2点をとる、という難題に挑まざるを得なくなり、まんまと相手の術中にはまっていく。ブラジル、アルゼンチンなどに押し込まれながら、隙をついて足元をすくう戦いを、親が生まれる前から遺伝子に刻み込まれてるコロンビアーナ は、ザルのようなDFを次々に切り裂いていく。

結果こそ大敗だが、今までのどのW杯よりも課題をいただけた。 3試合それぞれが、別々の教師となって。

ぼくたちはまだ若い。欧州・南米の列強とは50年の差がある。 いまだ「自分たちのサッカー」さえ出来上がっていないが、それこそがぼくらのストロングポイントだ。

若いから学べる。若いから変われる。いくらでもやり直しがきく。若者のように。子どものように。











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