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2011年11月21日月曜日

落合野球とカルチョ

サッカーフリークのふりをしているが、ドラゴンズのことはグランパスの百倍愛してる。
そんな私でも今年の中日野球はホントにつまらなかった。投手戦(貧打戦?)の醍醐味をわからない、ど素人の私だからなのかもしれないが、それでも大半のファンは私と大差ないだろう。

サッカーでも野球でも、長いリーグ戦を戦うには「守備」のベースがしっかりしていないと勝ち抜けない。だから現在の、選手獲得・育成のシステムの中で、常勝軍団をつくるには、これしかない という概念で選手を発掘し、鍛え、投手中心のチームをつくった。それはV9讀賣の川上よりも、はるかに質の高い仕事だろう。
ただ、勝負師としての能力は比類ないが、興業としての側面から見れば、エンターテイメント性は極端に欠ける人だった。

話をサッカーに移します。
今でこそ当たり前となった 勝利勝点3 という制度は、実はサッカーの歴史の中では浅いんだ。たしか、2〜30年前にイングランドリーグが始めたと記憶してる。「プレミア」という呼称が生まれるずっと前のことだ。その当時、勝利勝ち点は、国内リーグもW杯も「2」だった。引き分け・負けは1と0で今と同じ。
これだと例えば、
2−1勝ち と 1−3負け という2試合をしたチームより、
2試合続けて 0−0 ドロー のチームのほうが上 になる。
今なら逆なわけで、当時は より守備的なチームのほうが有利 ということになっていた。
そして攻撃的でスペクタクルなゲームを増やし、人気を呼ぶために、やがて世界中で現行の「勝ち3」に行き着いた。

百年をゆうに超えるサッカーの歴史は、ルールや制度が目まぐるしく変遷してきた歴史でもある。

今日、スペインやオランダの攻撃的フットボールが称賛され、イタリアの美学「1−0勝利」は結局、世界には理解されなかった。クライフやグアルディオラが崇められ、カペッロは破壊者と罵られる(笑)
かつてカテナチオと呼ばれたカルチョ(イタリアサッカー)の神髄は「相手に点をやらなければ負けない」という落合野球に共通するものだ。
そして、大多数の民衆にはウケなかった、のも同じだ。

話は野球に戻る。
落合ほど野球を知りつくし、シンプルに勝利に近づこうとする職人をほかに知らない。その彼が選択し、進んだ道だから、これ以上のやり方はないかもしれない。彼の方針がウケず、それでも彼が「勝利」以外に興味を示さない以上、もはや制度が変わるしかない。巨人戦の視聴率さえ低迷し、観客動員数は低下を続ける。球界もそろそろ本気で改革に取り組むときだ。ナベツネ絡みの内紛してる場合じゃない(笑)サッカーの勝ち点のように、攻撃的な野球で勝利を目指さねば優勝に遠い。そんな制度が整備されたとき、落合野球はどう変わるんだろう。いつかそれが見たい。

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