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2018年7月20日金曜日

2018サムライinロシア 1

大昔の野球の話で恐縮だが、広島にいた 安仁屋 という沖縄出身の選手が活躍したとき、地元では大騒ぎだったそうだ。島人(しまんちゅ)の若者が、本土で通用するなんて信じられない! なんて感じで。
時は流れ、沖縄の高校が甲子園で優勝しても誰も不思議と思わず、出身選手がプロで活躍しても騒ぎにもならない。当然だ。同じ人間、同じ日本人、という フラットな目線で見ているし、そこにはリスペクトとか差別とかの感覚もない。
二十数年前、野茂がアメリカに渡った時もそうだった。日本人がメジャーでやれるのか?という懐疑心の中で彼が活躍し、その後続いた大勢の日本人選手が、同じベースボールプレイヤーとして互角に渡り合えることを証明した。今ではダル、マー君、オータニらは活躍して当たり前、メジャーの中でも 一番 を期待してしまう国民さえ多いだろう。わずか二十年で日本人の能力が飛躍的に上がるわけはなく、これは単に意識が変わっ た に過 ぎない。(こんな小さな島国の人間が、大陸の欧米人に勝てるわけがない) という敗戦国の卑屈さも手伝って、過剰にリスペクトしていた時代から意識が変わっただけなのだ。

サッカーにも同じことがいえる。奥寺、尾崎が欧州に渡ったときは、ごく一部の特別な選手しか通用しないだろう と思われていたが、現在では (日本人でもフツーに通用する) という感覚に変わっている。 身長や体格・パワーが幅を利かせるNBAバスケやヘビー級ボクシングならいざ知らず、サッカーにおいては フィジカル・スピード だけじゃない部分で十分に渡り合える、ことに気づいたのだ。
最初に気づいたのはヒデだった。U17、U20のワールドユースで世界を体感した彼は欧州・南米・アフリカの選手と対峙し、過剰なリスペクト(恐れ)を抱かず、自分(たち)のやれるこ と、かなわないこと をフラットに見極めた。結果、28年ぶりの五輪で、過剰な恐れを抱いていた西野(ロシアW杯代表監督)と衝突し干される羽目になった。
あれから22年。まことに皮肉なことに、その西野さんが率いる代表が、世界を驚かせた。

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