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2014年11月2日日曜日

サッカーは習い事?

サッカーは習い事だろうか? そうではないという確信があるが、少し前から預かる選手の表情に(教えてください)の思いが瞳の奥に見て取れる。
低学年にはサッカー以前に身体を動かすことの喜びと大切さに触れてもらえればいい。 3〜5年時には、サッカーの面白さと難しさ、を学んでもらえればいい。
しかし6年生にもなれば、その奥深さと厳しさに気づいてもらわねば困る。 サッカーは自ら考え、決断し、実行にうつす戦いなのだ。けっして習い事ではないのだ。


私の青春時代、まだこの国でサッカーがマイナースポーツだった時代、この県でクラブチームは愛知FC(高校年代のみ)をのぞきひとつもなかった(と思う)
スクールという存在は皆無。小中学生のサッカー選手は学校の部活以外でプレイする場はなかったんだ(その部活でさえ秋冬限定)
サッカー誌は月刊でマガジンとダイジェストの二つ(キッカーもあったかな?) 図書館や本屋で関連本を探すのさえ困難だった。


やがて歳月が流れ、若者だった私は初老になり、サッカーは巨大なマネーを生み出すビジネスになった。
この名古屋だけで、クラブチームが50や60にものぼり、あちらこちらにスクールが出没し、本屋には「個人技能UP」のドリル本があふれる。
同時に、サッカーが闘いではなく、ショーやパフォーマンス満載のエンターテイメントになり、本物のディフェンダーがいなくなった。
ドイツやイタリアの代表DFでさえ、ザルのような選手が散見される昨今、しかたのないことかもしれない。
先のW杯でも、本物のDFと呼べるのは、マスチェラーノ、チアゴシルバ、ゴディン、マルケス...らわずかしか見あたらなかった。
アギーレJAPANはじめ各年代でも、基本のキができていない代表DFが名を連ねてる。
U21も17も韓国に屈し、それどころか中国や北朝鮮にすらかなわないのが現実だ。

スクールの盛況に反比例して、成果が下がってゆく。 なぜならフットボールの本質からかけ離れていってるからだ。
退屈だろうが、面白くなかろうが、サッカーの本質は守備、守備、守備。 あらゆるボールゲームの中で、 0−0 のスコアで終わるのがもっとも多いのがこの競技だろう。
守備のことは考えず、攻撃のみに専念する ...そんなのはメッシのような億にひとりの選手だけだ。 選手の9割、プレイ時間の9割は守備のことを考えなければならないのに、ボールをこねることだけ教えてくれるスクールの存在は、はたして本当に必要か?

リフティングの回数や質が向上する。できるフェイントの種類が増える。ボールスキルのUPは通う本人や家族にしてみたら「上達」のバロメーターにはなるのだろう。
それとは逆に、素人目にはわかりにくい守備能力の向上はおいてけぼりにされている。

この国と世界のサッカー界に警鐘を鳴らすため、わがイーグルスが 『ディフェンス専門スクール』 でも始めようかな。
アプローチの速さと厳しさ。ポジショニング、カバリング、コーチング能力のUP。ショルダーチャージ、スライディングタックル、クリアリングにファウルすれすれのボディコンタクト。

『ボールスキルの向上は見込めませんが、本物の闘士(ファイター)を育てます!!』  ってね。

まあ、誰も来ないわな (笑)


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