Translate

2014年11月2日日曜日

サッカーを、愛しているか

最近、ものすごく大事なことに気がついた。

今、一生懸命サッカーをやっている子どもたちのうちの何割かは、実はサッカーのことを好きではないのではないか、 ということだ。


話は40年近くさかのぼる。私は小学校に入りたての頃、まわりがやっているから、という理由で野球をやり始めた。
家では親父が野球ばかり見ていたし、いつも一緒に見ていたから、私も自然に中日ファンになり、アンチ巨人ファンになった。
小学校のうちは少年団に入ってプレイしていたし、中日を追いかけて、豊橋、草薙、甲子園にも足を運んだ。

サッカーに目覚めたのは中3の初夏、スペインワールドカップ準決勝の 西ドイツ−フランス戦(NHK録画放送)を観てからだ。

高校に入った後も野球は見続けた。中日のたまのリーグ優勝に熱狂したし、甲子園球児たちのプレイに興奮した。
だが40歳を過ぎて、いつしか野球に興味を失ってしまった。今では中日の選手も半分以上識別がつかない。
朝のメジャー中継も見るが、ダル、マー君、オルティズ、カブレラ、カーショー、...等一部のビッグネームのプレイしか興味ない。
なぜかというとボールの動かない時間が多すぎるし、試合自体も長すぎて退屈してしまうからなんだ。 結局、野球というスポーツを本当のところ、愛してはいなかったんだな。
いや、当時は愛していたのかもしれないね。ただ、愛には賞味期限があるということかもな。あなたたち夫婦がそうであるように(笑)


さて、で40年後の現在。W杯は全試合中継され、J3なるカテゴリーまでできた。プレミア、ブンデス、セリエA...
この私でさえとてもすべては見きれないほどフットボールがあふれてる。 この状況は私が子どものころ、野球に囲まれていたのと似ている。

いつもテレビで見てるから、まわりのみんながやってるから、そんな理由で始め、サッカーが好き と勘違いしてる子はいないだろうか?

幼き日にボールを蹴った。止める・蹴る・運ぶ が上達した。シュートが決まった。フェイントが決まった。だから楽しい!

低学年まではそれでいいだろう。だが10歳を過ぎれば、少しずつでもフットボールの本質に近づいていかなくてはならない。

高学年になれば、ゲーム全体のことを考えなければならない。いかにして相手からボールを奪うか。いかにゴールを奪うか。
次のことを予測して、今すべきことを判断する。よみどおりにボールやゴールを奪う。こちらの よみ を超え、奪われる。
それも含めてフットボールの面白さなんだ。 長くて40分のゲーム。22人(今は16人が多いが)がひとつのボールを追う。
ひとりがボールをプレイする時間なんてどれだけ長くても2分もない。ほとんどの選手は1分にも満たない。いや30秒にも満たないだろう。
つまり残りの39分以上はボールを持たない時間なんだ。 これを オフザボール というが、このボールがないときにいかに考え、いかに動くか。
これがほとんどサッカーのすべてといってよい。 なのにどうだろう。リフティングこそ長けてても、ボールが来るとあわて、滅茶苦茶。
ボールがないときはどうしていいかわからない。というより、なにもしなくていい とさえ思ってるんじゃないか。

ノンプレッシャーの中でボールスキルのアップするDVDやスクールばかりが巷にあふれ、それをドリルし、そこに通えば上手くなった気になっている選手と家族がいるようだが、実は大きな勘違いだ。

意味なくボールをこねくることに注力する時間があるなら、ゲーム(試合)を観よう。現地観戦でなくてもいい。テレビでJリーグでもいい。ヨーロッパリーグでもいい。土日に1試合ずつでもいい。90分間、集中してゲームを見続けられるか。トップレベルのゲームを観れば、なにかしら得られるものがあるはずだ。

自慢じゃないが、私は毎週5〜6試合は見ている。そしてそれに反比例して妻との会話すらレスになってきているが(笑)
まあそんなことはどうでもいい。

ハイライトシーンやテレビゲームは好きだが、2時間見ることを退屈に感じたり、なにも得られるものがないならば、きっと君はサッカーを愛していないのだ。 好きだと思ってるのは、実は錯覚なんだ。

今からでも遅くはない。ほかのスポーツや文化に触れてみるといい。 もっと、君にあったものに出会えるかもしれない。













0 件のコメント:

コメントを投稿