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2014年11月2日日曜日

水を運ぶもの

7月後半下書き


祭りが終わり、崩しかけていた体調もなんとか持ち直し、日常が戻ってきた。

結局、全64試合中、消化試合となった イングランド−コスタリカ 以外はすべて観た(ずっと録画したままだったが、この前ついに消した)

最近やっていた総集編を見て、すべてみたはずなのに結末がどうだったかすぐに思い出せない。
疲労困憊のなかで、見るという動作だけで記憶にとどめるまでいかなかったのだろう。

日本やスペインやイタリアの敗退。新しい才能(ハメロド)が輝き、ブラジルが崩壊し、ロッベンやメッシなど突出した 個 対 組織 の構図となった今大会。
歴代の中でもかなりおもしろいほうだったんじゃないか。

そして最後の ドイツ優勝 は、これからのサッカー界と指導者の立場からいえばよかったと思う。

なぜかといえば、メッシの大会 にでもなれば、育成・指導・戦略・戦術...といったわれわれのかかわる領域を、個 が超えてしまう、ということになりかねないからだ。
そうなればますます「天才」を目指し「凡人」が汗をかき、「個人芸」をみがくスクールが盛況し、DF(守備)がおろそかになってゆくかもしれないからね。

メッシやクリロナ、ネイマールに憧れるのは悪くない。同時に、等身大の自分と、世界のサッカー界を見てみよう。ごくごく一部の天才以外は、みな 「水を運ぶもの」 なんだ。


* 「水を運ぶもの」  −−−  オシムの好む言いまわし  チームのために汗をかき、守備にいそしみ、縁の下の力持ち、脇役に徹する選手。



天才にはなれない。なぜなら、彼らは生まれ持ってのものだからだ。 エジソンやアインシュタインのように、勉強の分野では「努力の天才」が生まれる可能性はある。だが、ことサッカーにおいては低学年の段階で、天才か否か、の区別がついてしまう。だからメッシは8歳か9歳でバルサと契約できたんだ(しかも家族ごと)

天才になれないからといって絶望することはない。天才の数千倍か数万倍のプロフェッショナルが存在している。目指すのはそちらでいい。
岡崎(マインツ)のように、へたくそでも自分の持ち味を知り、愚直に繰り返す才能と、走り続ける意欲がある限り、君にも道は開けている。

だから明日も、水を運ぶんだ。



**  ちなみに写真は、世界各地で  「 酒をあおるもの 」  です (笑)














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